第2回=陸の孤島マニコレ=遠隔地は半自給自足で

ニッケイ新聞 2008年11月25日付け

 週に三便しか飛ばない十八人乗りプロペラ機で一時間ほど行くと、樹海の真っ只中に忽然とマニコレ市が現れた。アマゾナス州都マナウス市から南に三百三十三キロ近く、船なら二晩かかる。もちろん、道路はない。
 市といっても面積はオランダ国とほぼ同じ、日本なら九州ぐらいの広さがある。セントロという市街地に二万一千人、マデイラ川沿いの約二百八十のコミュニティなどに計二万五千人が住んでいる。計四万六千人の人口だが、州内の六十二自治体の中で六位だというので、実は大きい方だ。
 中心街(セントロ)といっても道路に信号もない、エレベーター、エスカレーターもない、二階建ての建物も市役所以外はほとんどない。道行く人の大半は徒歩か自転車で、まるで申し合わせたかのようにサンダル履きだ。百五十CC程度の小型バイクも走っているが自家用車は実に少ない。
 川沿いにあるコミュニティの多くは十~六十家族しか住んでいない。彼らのことを、ここでは河民(リベリーノ)と表記する。もちろん、道路もない、電話もない、医者もいない。文明からは遠く離れた場所にある。
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 セントロから船で六時間離れたジェニパポ2というコミュニティで生まれ育った二十歳、マリア・デ・ジェズスさんは「コミュニティはおいしい魚がいっぱい、浜辺もあるし、ゆっくりした生活がおくれる」という。半自給自足の生活をしている人が今もかなりいるという。
 電気は午後五時から十一時ぐらいまで。百人ぐらい住み、「たいていの家にはテレビがある」が発電する時間にしか見られない。「冷蔵庫がある家もある。でも、昼間はできるだけ開けないようにしている」。電話はあるが携帯は通じない。
 唯一の交通機関は船。週二~三回ずつ上り、下りがある。若い人はどんどん都会に出たがる傾向があるが、「それ以上に赤ん坊が生まれているからコミュニティの人数は増えてるわ」という。
 住めば都。テレビのノベーラのような生活をしてみたいと思わないかと尋ねると、「私は静かな生活の方が良い」と静かに否定した。
 同じコミュニティ出身で親戚にあたり、三年前に定森さんに誘われてHANDS(ハンズ)職員になったジルソン・カルヴァーリョ・ロドリゲスさん(34)によれば「月に二回、レガトン(船)がまわってきて、そこで食糧を買う。値段は町よりかなり高いが、ここまで来る交通費を考えると、搾取されているとは思うがしかたない」。河民の大半は「マニコレに出てくるのは年に一回、九月のフェスタの時だけ」という生活だ。
 九月には、町の守護神ノッサ・セニョーラ・ドス・ドーレスの名を冠したカトリック教会で、地域最大の祭りが行われる。衣料品の出店がたくさんでて、それを目当てに服を買いに来るのだ。
 魚は潤沢にとれても、町に出荷するのは遠い。商品作物といえばバナナかマンジョッカが中心。イガラペジーニョというコミュニティで聞いたら、「一週間かかって作ったファリンニャが、一袋六十レアルで買いたたかれる」という。
 市民一人当たりのGDPは、ブラジル全体で三千三百二十六ドルなのに対し、ここでは七百五十二ドルしかない。現金収入は貴重だ。
(続く、深沢正雪記者)

写真=遠隔地コミュニティの典型的な家。木造の高床式住宅(イガラページョで)