第3回=市長が匙を投げる教育=巡回授業で保健指導を

ニッケイ新聞 2008年11月26日付け

 「こんなに広い面積で州から下りる市予算はわずか。市民の保健、教育を完璧にやることは不可能だ」。再選を決めたばかりのエメルソン・ペドラッサ・デ・フランサ市長は、十月二十九日に共にした昼食で眉をしかめてそう言った。
 地元自治体すらお手あげの場所で、教育局と保健局と提携しながら、定森さんは「アマゾン遠隔地学校における健康作りプロジェクト」を〇七年九月から進めている。
 今回は第二段階で、第一段階としては「アマゾン地域保険強化プログラム」(〇三年十月~〇六年三月)も実施した。共にJICAブラジル事務所の支援を受けている。
 第一段階では地域保健員への教育を行った。これは連邦政府の制度で、地域ごとに一人指定し、保健衛生などの指導をする有給の役職だ。ここでは五百六十二レアルが月々支払われている。
 地元関係者によれば、本来は各コミュニティが自主的に人選するはずだが、現実には、衛生知識あるなしに関係なく市議らが指名する形になっていることが多く、役割が果たせていなかった。
 かつて五年間、地域保健員をした経験のあるジルソンさんは「HANDSが活動を始めるまで、保健員はなにもしてないも同然だった」と振り返る。「血圧計、体温計、体重計すらなかったし、使い方も知らなかった。基礎的な保健知識もみんな持っていなかった」。
 立派な制度があってもしっかり運用されてないから、問題がいつまでも続くことはよく見られる。学校があっても先生がいない、地域保健員がいても知識がない。そんな現実に対し、HANDSの活動は既存の制度に実体を与え、関係する機関の連携を密にすることで問題解決への糸口を見出してきた。
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 マニコレから船で十時間ほど離れたボン・キ・ドイというコミュニティで地域保健員をするオリヴァウド・バイマさん(49)は「我々の地域はマラリアがひどい。HANDSのおかげでだいぶ減った。衛生の知識がとても役に立っている」と感謝する。
 このコミュニティの名前は、あまりに医者のいる町から遠いゆえに、「痛くなると良い」という皮肉を込めて付けられた名前だという。それだけ病気には苦労してきている場所だ。
 これら河沿いの遠隔地コミュニティは約二百八十もあるが、それぞれが孤立している訳ではない。隣接していても宗教などの理由で別々の集団として数えているところが半数近くあるという。
 そこに小学校は百二十五校あるので、大方のコミュニティには小学校まではある。そこを巡回して、保健衛生指導の授業をしてまわるのが第二段のプロジェクトだ。
 うち九十一校には教師は一人しかいない。二~三人が十六校。定森さんは「とても過酷な勤務環境です」と同情する。月に一回、セントロに給与を受け取りに来て、しばらくコミュニティに帰らない教師もいるという。
 十月三十日午前、HANDSの船で一時間ほど離れたイガラペジーニョを、巡回指導員の一団と共に訪れた。
 雨期になると水位が十メートぐらい上がるので、崖のような斜面を登って広場に到着。興味深いことにたいていのコミュニティには、広場に川面から見える尖塔を持つ教会、その横にコミュニティセンターという名の講堂、小学校、そしてブラジルらしくサッカー場の四点セットを備えている。
 この中央広場から川沿いに左右に道が延び、そこに木造の高床式になった家々が並ぶ。
(続く、深沢正雪記者)

写真=長さ16メートルのHANDSの船。中に2段ベットの部屋があり、ここで寝泊りしながら巡回する