コチアの地で育つ組合学校=ヴァルジェン・グランデ=創立10年で得た〃わが校舎〃=夢に向かって日系教師も奔走

ニッケイ新聞 2008年12月3日付け

 旧コチア産業組合のお膝元として、組合運動とともに発展してきたヴァルジェン・グランデ・パウリスタで、公立でも私立でもない、協同組合方式の学校が育っている。ヴァルジェン・グランデ・パウリスタ協同組合学校(Escola Cooperativa Vargem Grande Paulista)。新しい教育方針やシステムを求める教師、父兄らにより一九九八年に始まった同校では、創立当初から日系人の教育者も中心的な役割を果たし、今も日本的な要素が取り入れられている。創立から約十年が過ぎた十一月二十二日、初めて得た自前の校舎の落成式が行なわれた。
 九八年二月に開校した同校。賃貸した教室で授業を始めた時、わずか四十五人だった生徒はその後、九九年には九十三人、二〇〇〇年には百四十五人へと年々倍増し、手狭になった教室から新たに教会を借りて移転するほどの成長。そして〇二年に現在の校舎が建つ土地を購入し、新校舎建設の夢が始まった。
 しかしその道のりは平坦ではなかった。役所の手続きなどにも悩まされ、資金集めのためリッファや焼きそば会、フェスタ・ジュニーナなども開いてきたという。そして国家社会開発銀行(BNDES)から二十万レアルの融資を受け、十年目の今年、待望の「わが校舎」が完成した。
 十一月二十二日午前十時から新校舎の中庭で行なわれた落成式には、教師や生徒、父兄など関係者約二百人が参集。
 組合理事長のエジゼウ・ガロッテ氏は「生徒たちにより良い環境が与えられ、教師たちもより良い状況で仕事ができる」と完成を喜び、関係者へ感謝の言葉を述べるとともに、組合への新たな参加を呼びかけた。
 続いて同校の管理部門を担当し校舎建設に奔走した古川ローザさん(54、二世)が「諦めかけたこともあった」と完成までの苦労を振り返り、涙をこらえながら組合関係者、教師などへ感謝の言葉を述べると、出席者から大きな拍手が送られた。
 この日はロッケ・デ・モラエス市長の代理として海老名松雄市長室長も出席し、「皆の力で実現した校舎は、組合主義の象徴。この学校から将来の地域のリーダーが生まれることを願う」と祝辞を送った。
 来賓あいさつ後は校舎正面に移動し、神父の祈りに続いて学校のプレートを除幕。その後はフェスタが開かれ、午後までにぎわった。
 財務部門を担当するアナ・パウラ・ダ・シルバ教師(38)は、「皆の願いが叶った」と笑顔を浮かべ、「これからも室の高い教育をめざしたい」と期待を表した。
 創立時から組合員として同校の歩みを見つめてきた田村忠雄さん(62)は、「皆の努力が実ってうれしい。これから新しい校舎でやっていける。ありがたいことです」と喜んでいた。

教育に日本文化も取り入れ=生徒の展示で百周年顕彰

 約六千平方メートルの敷地に建つ平屋建ての校舎は、中庭の左右に七つの教室を設置。伐採が禁止されているため残されたパラナ松に囲まれた緑豊かな場所だ。
 同地の以前にもサンロッケやコチアなどで同様の協同組合方式の教育施設が作られたが、現在も続いているのは同校だけだ。
 「組合にもなじんでいたし、小さく始めたのが良かったのかも知れませんね」と話すのは、教育指導部門を担当する海老名エレーナ恵子さん(58、二世)。古川さんとともに創立時から同校に携わってきた。
 学校教育の中に日本文化を取り入れる。「折り紙は全員好きですよ」。昨年は日本語のコースを開き、六人が受講したという。
 落成式後のフェスタでは、生徒による音楽、歌のほか、近隣文協の子供、青年たちによる和太鼓や剣道実演なども披露され、来場者は声を上げながら見入っていた。
 各教室では生徒たちがそれぞれのテーマにそって取組んだ工作や絵画が発表され、日本移民百周年もその一つとして、笠戸丸など移民の歴史を取り上げた作品が飾られた。
 同校は現在、四歳から十八歳まで百六十人ほどの生徒が通う。うち日系の子弟は三割強ほど。開校二年目には公立以外では同市初の高等部を開始、ENEM(国家高等教育試験)でも好成績をおさめるなど年々評価が上がってきているという。
 同じく創立時から携わる校長のソカベ・スミエさん(60、二世)は「勉強だけでなく、全人的な教育を目指している」と方針を説明する。他校と違い、一クラス二十人程度という少人数の教室もその表れだ。「子供たちの将来は、私たちの将来でもあるのですから」と力を込めた。
 落成の二日後から、新校舎での授業が始まった。次の目標は「体育館と幼稚部の開設」だという。「レスペイトの気持ちを教え、生徒が参加する教育を」と夢を語る古川さん。「ようやく始まったばかり」と表情を引き締めた。