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日系画家の足跡、日本に伝える=「ブラジル日系画家百年の歩み展」=4都市開催、成功裡に終了

ニッケイ新聞 2008年12月13日付け

 ブラジル美術界における日本人・日系人画家の足跡を辿る「ブラジル日系画家百年の歩み展」(日伯交流年認定事業)が、七月から日本国内四都市で開催された。主催は文協美術委員会と開催地の美術館で、両国の百周年・交流年実行委員会が共催した。去る十月二十六日に最終開催地の熊本市での展示が終了したことを受けて、豊田豊美術委員長と、同じく開催に尽力した画家の若林和男さんが報告に訪れた。
 ブラジル美術界に大きな影響を与えた日本人・日系人芸術家。その草創期から現代までの絵画作品を日本で紹介する試みは初めてのことだ。展示会は七月三日から神戸で、以後、松山(七~八月)、横浜(九月)、熊本(十月)で順次開催され、各地で好評を博した。
 パリ在住の画家、藤田嗣治がリオに滞在し、日本人画家としてブラジル美術界に最初の足跡を残したのが一九三一年。その流れが上永井正、田中フラビオ・シロー、福島近らへとつながっていく一方、サンパウロでも美術を志した半田知雄や玉木勇治、高岡由也、沖中正男らにより三五年にサンパウロ美術研究会(聖美会)が結成された。
 そして戦後に始まったサンパウロ・ビエンナーレを舞台に間部学や福島近、大竹富江らが活躍。さらに五〇年代後半から六〇年代にかけて、豊田さんや若林さんなど日本で美術活動に参加してきた作家が移住、活動の場を広げていく。こうした流れは二世、三世や日本から新たに訪れる作家たちへとつながっている。
 藤田、半田ら草創期の第一世代から間部学ら第二世代、戦後作家などの第三世代、そして現代の第四世代まで四十四人の作品七十八点を展示した今回の「歩み展」。開催にあたっては文協を中心にブラジル側が出展作品の往復費用を負担した。
 豊田さんは「理事会の承認を受けて百周年事業として行なうことができた。個人の力ではできなかったこと」と話し、「作品の梱包も立派にでき、開催地にも喜んでもらえた」と振り返る。
 実施にあたり日本の各会場側でも費用を負担したという。豊田さんは関係団体とともに、日本側事務局代表を務めた石田淨氏の名前を挙げ、感謝の気持ちを表した。
 神戸さんちかホールでの開会式には在京ブラジル大使館代表、神戸日伯協会の西村正理事長など両国関係者はじめ、豊田さん、若林さんも訪日して出席。ルーラ大統領からも祝辞が寄せられた。十二日間の開催期間中に約四千人が訪れたという。
 横浜は横浜市民ギャラリー、松山は三浦美術館で開催され、各地の地元メディアが報じた。熊本県立美術館での展示会では、間部学の展示会もあわせて開催され、夫人のよし乃さんも出席した。テレビ、新聞や市電での広報など、地元挙げて盛り上げていたそうだ。
 「豊田さんや私が一番上の世代になってしまいました。先輩を顕彰するとともに、新しい百年につなぐ展示会として日本やブラジルの人たちに見てほしかった」と思いを語る若林さん。
 資金面の問題から絵画だけの展示会になったと残念そうな様子を見せながらも、「ブラジルでこれだけの日系作家が活躍していることは今まで知られていなかった。今回、ブラジルを代表する芸術家の作品を日本で見てもらえたのは、とても意義深いこと。日本との新しいコンタクトも生まれたと思う」と振り返っていた。

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