■記者の眼■デモに関する複雑な想い=功罪の評価はこれから

ニッケイ新聞 2009年2月3日付け

 デカセギが初の大規模デモをやったことに関し、評価は難しい。
 少なくとも「大きなデモをやってすごいね」と素直に喜ぶ性質のものではない。わりきれないものを感じるのは記者だけではないだろう。ある意味、デカセギと日本社会との関係が、今までとは別の次元に足を踏み入れつつあるのを感じる。
 「日本の左翼に利用されている」とか、「日本人から『日本に不満があるなら自分の国に帰ったら』と言われたらどうする」と心配する声を聞くが、確かにその危険性がある。これをきっかけに不況でストレスが嵩じた日本人から、排斥運動の対象になる可能性も捨てきれない。
 今回のデモに関し、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞の三大全国紙はカラー写真付きで報じ、地元の中日新聞は写真無しだがその分、記事は長かった。いずれも、デモに対する批判的なニュアンスはないが、日本人読者がどのように受け止めたかは分からない。
 派遣切りを受けての日系人による集会デモは、十二月二十一日の静岡県浜松市を皮切りに、一月十八日東京・銀座、今回で三回目。徐々に参加者が増え、一千人を超える規模になった。この先、どうなるのか。
 日本人側としては、デカセギが「一時滞在」か「移民」なのか、という点が最大の問題だろう。
 今回のデモでは「移住者」であると訴えている。だったらデカセギ全員が税金をきちんと払っているか。確かに永住志向の日系人はそのはずだが、渡り鳥のような生活をするものも多い現状からすれば、必ずしも一括りにできない。
 デカセギが「日本人と同等の権利を」と主張すること自体は悪くないが、日本人側から「デカセギは権利だけ主張して義務を果たしていない」と言われないだけの実績が必要だ。
 各紙の記事内容を見る限り、参加者の大半は最近解雇された人のようにも見える。彼らが十円、五十円の時給の違いでどんどん職を変わってきた浮遊層であれば、どんなに長い期間日本に滞在していても、心構え的には一時滞在者でしかない。
 デカセギの中でも、給与は安くても安定した直接雇用を選び、ある程度は日本語も学び、同じ会社に十年、十五年働いてきた、地域社会に溶け込んでいる定着層は、このデモにはあまり参加していないように見える。日本人と同等の権利を主張すべきなのは、そのような層だ。今回のデモを、彼らはどんな目で見ていたのか。
 日本移民と違って、デカセギは互助組織を作ってこなかったし、子弟教育のための学校も少なかったので、今回の不況で特に大波を受けた。ブラジルの日本移民は自分たちでそれをやってきたのに、デカセギがそれを日本社会のせいにするのも違和感を受ける。
 いずれにせよ、今回のデモ行進が日本社会に対して一石を投じたのは確かだ。日本社会にどんな反応がでるのか、じっくり見極めたい。
 今、大量のデカセギが帰伯してきている。コロニアとして何ができるのか。デカセギに対して、どういう態度で臨むのか。百一年目最大の課題になるかもしれない。(深)