第31回県連ふるさと巡り=旧都=歴史あるリオ日系団体との交流=第4回=リオ日系=全伯に誇る高貴な「清苑」=カンタガーロ=「3年したら名所に」

ニッケイ新聞 2009年3月21日付け

 八日朝、天高く秋晴れの中、爽やかな空気のコパカバーナ海岸の波打ち際で参加者の一人、中野文雄さん(87、福岡)は、「七十年間ブラジルにおるが、リオは初めて。冥土の旅のいい土産ですよ」と呵々(かか)大笑した。
 一行はリオの誇る観光地コパカバーナ海岸のレメ・オットン・ホテルに宿泊。全員が海際の部屋で、ブラジルを代表する美景を堪能した。しかもここは、昨年六月に百周年を記念して静岡県浜松市から凧揚げ使節団一行が来て、真ん前の砂浜で揚げたという日本に縁のある場所だ。
 午前八時に出発し、キリストの像で有名なコルコバードの丘へ。〇七年七月に「世界七美景」に選ばれたほど有名だ。ドン・ペドロ二世の治世下の一八八四年に開通した由緒ある登山鉄道に乗り、エレベーター、エスカレーターを乗りついで、階段を使わずに頂上(標高七百十メートル)まで到着した。
 三十八メートルもあるキリスト像は、登山鉄道によって四年がかりで資材を運び上げ、一九三一年にようやく完成した。ちなみに奈良の大仏は約十五メートルなので二倍以上ある。
 昨年、皇太子さまも登られた名所ポン・デ・アスーカルからマラカナン蹴球場、町の隅々までがくっきりと一望でき、一行は記念撮影に忙しい。「これだけ眺めが良いのは、五回来て一回でしょうね」。ガイドの戸田エリオさんは、そう絶景を評した。
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 登山電車の始発駅に程近い、高級住宅街のコズメ・ヴェーリョ区にリオ日系協会の会館はある。元石川島播磨重工の社員寮で、向かいにはグローボテレビ局の創立者ロベルト・マリーニョの生家があり、いまも一族が住んでいる関係で治安がいいという。
 正午から交流会が始まった。今年新会長に就任した松浦ミノルさん(64、三世)がリオ日系の活動紹介をしたのに続き、長友団長があいさつし、リオ州日伯文化体育連盟の鹿田明義会長(72、長野)が同地日系の歴史を語った。
 リオ州連盟は今年五十四年目で、首都時代の設立だ。日本国大使館がブラジリアに移転したのを受け、日系人の団結を落とさないようにとの新総領事の提案で、七二年三月十一日にリオ日系協会が創立されたという。
 「現在のリオ日系の役員はサンパウロやパラナに生まれて、ペトロブラスやヴァーレに就職してリオにきた優秀な人ばかり」。松浦会長もペトロブラスだ。
 リオ州には南部を中心に二十二団体があり、リオ州日伯文化体育連盟が統括する。ただし、昨年の百周年のような行事には「四団体」であたる。同連盟、リオ日本商工会議所、歴代ブラジル人会長をいだく親日家ブラジル人の集まりの日伯文化協会、それにリオ日系協会だ。
 同州の日系人口は五世まで入れて一万五千人。うち市内には五千人だ。
 昨年六月、麻生太郎日伯議連会長を団長とする議連慶祝団を迎え、ラゴア区のカンタガーロ公園に黄色イッペー百本の植樹をした。「三年したら名所になるよ」と鹿田会長はいう。
 同地の誇りは、なんといっても植物園内の「清苑」だ。紀宮親王がご来伯された一九九五年十一月十日に開所式が行われ、それにちなんで命名された。九七年に天皇陛下もお立ち寄りになり、秋篠宮さまも園内に植樹されていたものを清苑に移し、昨年は皇太子さまが植樹をされた。
 「皇室お手植えの木がこれだけ揃っている日本庭園は珍しいはず」と鹿田会長は胸を張る。
 宮本アキオさんの音頭で乾杯をし、一行は、会長みずから早朝から準備したシュラスコ、同地婦人部が用意した昼食を堪能した。(つづく、深沢正雪記者)

写真=コルコバードのキリスト像の前で記念撮影