ブラジルの大地で半世紀=あめりか丸第32回同船者会=コチア花嫁最初の金婚式祝う=日本、ブラジリアからも

ニッケイ新聞 2009年5月1日付け

 「渡伯五十周年と金婚式おめでとう」――。一九五九年三月二日に神戸港、四日に横浜港を出帆した「あめりか丸」(乗員三百八十四人)の渡伯半世紀を祝い、四月二十五日午前十時から「渡伯五十周年記念祝い並びにコチア青年呼び寄せ第一回花嫁金婚祝記念式典」がサンパウロ市の宮城県人会館で開催された。終始笑顔の〃織姫〃と〃彦星〃たちは一年ぶりの再会を喜び、互いに祝いあった。

 三十二回目というコロニアの中でも最多数を誇るあめりか丸同船者会。発起人代表の坂東博之さんを中心に長年続いてきた。渡伯半世紀となる今年は、遠くは日本やブラジリア、リオなどから関係者約百人が駆けつけ、大部一秋総領事夫妻、副領事も祝福に訪れた。
 式典であいさつに立った坂東さんは「過去の血の滲むような涙、汗、苦労もすでに笑い話に」と波乱万丈の人生を振り返り、「七夕のように兄弟姉妹と年に一度再会でき、あれから五十年たった今、幸せいっぱいで五十周年記念と花嫁さんの金婚式を祝えることは最高の喜び」と述べ、大きな拍手が沸いた。
 大部総領事は、「一人ひとりに金メダル、ノーベル賞を差し上げたいほど」と言葉を贈り、「同船者のみなさまの絆の強さに感銘を受けた」と敬意を表した。
 第一回目のコチア青年呼寄せ花嫁が移住した同船。花嫁を代表してあいさつした芦川道子さん(73、静岡県、カンピーナス在)は、「五十年前の私たちも、初々しい若妻となることを夢に渡伯しました。天皇皇后両陛下の歴史的なご成婚で日本中が大騒ぎの渦中でした」と往時を振り返り、「今日は忘れがたい記念日。夫亡き後も大勢のコチア青年仲間から深い情愛をもって接していただき、深い感謝の念でいっぱい」と述べた。
 文協を代表して出席したコチア青年の高橋一水さんは「ジャポン・ノーボと言われ鞄一つのコチア青年に、花嫁さんは大きな希望を与えてくれた」と当時を懐かしみ、新留静コチア青年連絡協議会会長は「これからも同船者会の記録を伸ばしてほしい」と激励した。
 コチア青年一次一回の黒木慧さん、県連副会長の山田康夫滋賀県人会長が来賓のあいさつ。「五十年をかえりみて」として同船者の山下治さんは、「親の反対押し切って移住したが、海より深く山より高い親心に感謝する今日この頃」と述べた。
 伊勢脇英世さんが、「花嫁の夫としての五十年の言葉」を贈り、安武加寿之さんの閉会の辞で式典が終了。平井良介さんの音頭で乾杯した後、食事を囲んでそれぞれ会話に花を咲かせていた。
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 花嫁の一人、木野順子さん(73、山形出身、スザノ在)は夫の栄吉さんと出席した。職場で一緒だった栄吉さんがコチア青年一次三回で渡伯。「プロポーズはやっぱり男からでしょうねぇ」。
 文通を経て順子さんは渡伯。「月月火火水木金って働きましたよ。だけど苦労なんて忘れちゃった」。「やっぱりみんなと会ったらそんなことどうでもいいもの」とはしゃいだ様子を見せ、仲間とのひと時を楽しんでいた。
 「懐かしいね」と話すのは、神奈川県から参加した加藤郁正さん(68)。コチア青年として移住し二十年前に帰国、日本から参加するのは二度目だ。「隣の部落で首吊った人もいたし、いろいろあった。今こうして幸せでいられるのは土台を築いてくれた旧移民者のおかげ」。
 同船には、アクレ州で唯一日本移民が入植したキナリー移住地の第一陣六家族も乗船していた。あめりか丸五十周年はまた、入植五十周年でもある。同船者会にはサンパウロ近郊、各地から集まり、旧知の仲間と話を弾ませていた。
 州都リオ・ブランコ近郊に開かれた同移住地には、計十三家族が入植。野菜、ゴム栽培などに取組んだが、多くは同地を離れ、いまは三家族が残るのみだ。
 ゴイアニアから娘さんらと訪れた原ゆりこさん(徳島)は、キナリー、スザノを経て、現在同地で暮らす。「苦労したけど、今では笑い話ですよ」と笑顔で話すのは、モジに住む娘の恵子さん(62)。
 五月で九十歳になるという原さん。「(移住したのは)日本もたいへんな時。苦労もしたけど、ブラジルはのんびりしているから、どうにかこうにかやってきましたよ」と話し、「半世紀は夢のようですね」と振り返った。