コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年5月29日付け

 「沖の暗いのに白帆が見ゆる あれは紀ノ国みかん船」―。江戸にみかんを運び、財をなした紀伊国屋文左衛門を題材にしたカッポレだ。閨房で屁をひった女が白足袋を布団から出し、「沖の暗いのにー」と誤魔化そうとしたら、「ほんに肥溜め積んだのが」と男が続ける戯れ歌もあるが、それはさておき。「船は見えねど白穂が見える あれはバルゼの陸稲かよ」と笑われた南マットグロッソ州のバルゼア・アレグレ移住地が今月、五十年の節目を迎えた▼「七年は肥料なしで米が育つ」と言われ、一九五九年五月十五日、九家族五十四人が入植。しかし雨が降らず、三年連続で不作に終わった頃、さきの歌が他移住地から聞かれたという。「荷物を解かず逃げ出す人もいた」と回顧するのは、第一陣で入植した金崎英司さん(71、山口)▼「持参金がなくなり、小米を食べた時期も。逃げたかったけど金がなかったから…」。その後、飼料用のミーリョが安かったことから始めた養鶏が盛んになり、採卵養鶏としては州随一の移住地に。日本の調査団に「評価ゼロ」の評価を下されたJAMIC購入の三万六千ヘクタールの土地も組合や地元が全て買い上げた。五十年の思いを金崎さんに聞くとただ一言。「長かった」―▼五十周年祭では、バルゼア・アレグレ音頭を踊る来場者の輪ができた。普通の盆踊りで一歩下がる振りが同音頭にはない。「前進あるのみ」の思いが滲む。来年、州政府により国道から養鶏場までの一・七キロをアスファルト舗装することも決まった。移住地に住む四十五家族の約半数は山口県出身、長州人の気骨溢れる半世紀を祝いたい。 (剛)