コラム オーリャ!

ニッケイ新聞 2009年6月3日付け

 先日、教師をしている三世の女性と話していた折、ふとその女性が「私の祖父母は二番目の移民船でブラジルへ来たんですよ」と話す。旅順丸ですか、と聞いたが、船の名前まではわからないようだった。
 第一回移民船「笠戸丸」から百年を祝った昨年の移民百周年。その二年後、二回目の移民を乗せた旅順丸の着伯から、来年で百年になる。
 来年県人移民百周年の岡山で、旅順丸移民の情報を探しているが中々ないという話を関係者がしていた。九百人以上を数えた第二回移民。だが、その歩みは笠戸丸の影に隠れ、取り上げられる機会は少ない。
 アララクアラの近くに今も、病に斃れた第五回移民の位牌堂が残る。旅順丸に限らず、総領事館もない一〇年代前半まで幾多の初期移民が海を渡り、その後の移民隆盛期の礎となってきた。今後、こうした歴史に光が当たればと思う。(ま)