コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年6月10日付け

 「いい葬式に出たな」。『おくりびと』(ポ語名A Partida、滝田洋二郎監督)は人の死をテーマにしているのに、見た後に、そんな温かい不思議な満足感をおぼえる映画だ▼サンパウロ市のHSBC館で見た時、客席の大半を占めるのは非日系だったが、あちこちからすすり泣きがもれてきた。隣に座っていたのは熟年ブラジル人夫婦だったが、夫が泣いているのに気付いた妻が、黙ってその手を握っていた。正直言って、これほど観客が泣く映画は初めて見た▼遺族の前で死者に死化粧をほどこして着替えさせるのに、まるで生きているかのように衣服で覆いながら丁重に扱う。日本文化の奥底にある死者に対する深い敬意が、苦悩しながらも「納棺師」という職業に納得していく主人公の姿に見事に凝縮されている▼世界的話題になったブラジル映画『シダージ・デ・デウス』や『Onibus 174』で描かれた、凄惨すぎて感情が枯れきったような死の場面を見て安堵する人はいない。ニュースでは日常的に残酷な殺人事件、無残な事故が溢れている▼そんな死の姿に慣れっこになっているように見えるブラジル人だが、実は深層心理の部分では「もっと死者への敬意があるべき」という欲求が醸成されており、『おくりびと』を見ることでその部分が癒され、涙がこぼれたのではのではないか▼葬儀は、死者本人に対してではなく、残された親族や友人が故人の死を認識するための儀式だ。自分が死んだ時にも敬意をもって扱われたい、きっとそう扱われると確信することで安心して死ねると感じるのだろう。この映画は、そんな心の奥底に訴える、日本文化の深い部分を表現している。(深)