コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年6月11日付け

 脱亜入欧の掛け声華やかかりし明治初期、文部大臣にもなった森有礼は「日本語を廃止し、英語化すべき」と主張した。戦後の昭和二十一年、小説の神様といわれた志賀直哉も「国語フランス語化論」を唱えたのだから驚く。日本が大きく揺れた時期だが、碩学たちは日本語の難解さをある種の弊害と感じていたのだろう▼日系社会を題材に論文を書いている日系三世の学生が「参考文献が少ない」とこぼすのを聞いた。日本語を話すのは達者でも、史料渉猟は至難の業。自然、ポ語訳したものに頼るわけだが、「日本移民八十年史」(移民八十年史編纂委員会)、「移民の歴史」(半田知雄著)ほか少々が関の山とか▼日本語史料は日本からの研究者には宝の山でも、コロニアの継承者たる二、三世には〃宝の持ち腐れ〃。ほかのコロニアはどうだろう。イタリア、スペインなどラテン語系はさておき、ドイツ語とてアルファベットだから垣根は低いはずだ▼サンパウロ人文科学研究所が研究生を募集、これから選考に取り掛かる。「医者のいない病院」と揶揄され続けてきただけに研究機関としての再興を図る。しかし日本語の壁をどう越えるのか。並行して同研究所発行著作の翻訳も期待したいところだが▼一方、日本で中学・高校を卒業し、帰国したデカセギ子弟に大学進学希望者が多いことに注目したい。彼らこそ歴史の分断を防ぐ存在になり得るのではないか。遅きに失した感はあるが、コロニアは、歴史を残すための人材の発掘や、基本史料のポ語訳に取り組むべきだろう。百一年目の新時代が強調されるが、温故知新あっての二百年と肝に銘じたい。   (剛)