コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年6月25日付け

 先日ベレンを取材で訪れた際、市内サンタ・イザベル墓地にあるコンデ・コマこと前田光世の墓参を行なった。前田に詳しい汎アマゾニア日伯協会事務局長の堤剛太氏曰く「あまり訪れる人もいないようですね…」。意外に思った。戦前、地元では英雄だった人物だからだ▼一八七八年青森県に生まれ、十七歳で上京、講道館に入門する。柔道指導者として渡米後、公開試合を行い、連戦連勝を飾る。一九一五年に来伯、広大な国土、鷹揚な国民性などを気に入った前田はベレンを終生の地と定め、各機関で柔道を指導。グレイシー柔術の源流となるカルロス・グレイシーも教えた。アマゾンを通る格闘家の挑戦を受け、派手な試合を演じて、ベレン市民を歓喜させた▼現在の墓は、米国の総合格闘技大会で王者となり、五月末にベレンで凱旋パレードを飾ったリョートの父、町田嘉三さんや高拓生らが中心となり、八〇年代に建立したもの。最初の墓は倒壊し、遺骨は墓地管理人の家の土間でビニール袋に入っていたという。何ともせつない話だ▼伝説の柔道家とのイメージが強いが、アマゾン日本人移住への貢献も大きい。上流社会とも関係があったことから、日本と現地の懸け橋となり、南米拓殖株式会社の重役にもなった。アカラ(トメアスー)移民とのゆかりも深く、同胞を公に私に助けた愛国者だった▼移住が始まった一九二九年以前、アマゾンの人にとって、日本人=コンデ・コマだった。その好意の目が移民ら全体に向けられたと考えれば、この八〇周年を機に顕彰、再評価されるべきではー。手入れされた様子のない墓前でそんなことを思った。   (剛)