寄稿=リオ=グランドスラム柔道観戦記=(上)=柔道家=石井千秋

ニッケイ新聞 2009年7月9日付け

 七月四、五日にリオデジャネイロ市のマラカナンジーニョ体育館で開催された、グランドスラム国際柔道大会を観戦した。
 第一は柔道着が昔とすっかり変ったという事である。今年から初めて実施された柔道の世界ランキングを決める四大大会の三番目の大会が、グランスラム・リオ大会である。第一回は昔のフランス国際がグランプリ・フランス大会となり、第二回目は五月にロシアのモスクワで開催されたロシア・グランプリで、今回のリオが三番目の大会になる。そして十二月に日本の東京で行われる昔の嘉納杯が東京グランプリとなり、この四つの大会で入賞した者に点数が与えられる。
 金メダル三百点、銀メダル百八十点、銅メダル百二十点と賞金が与えられる。フランスとモスクワ大会では金メダル三千ドル、銀メダル二千ドル、銅メダルは五百ドルであった。そして今回のリオ大会は金メダル五千ドル、銀メダル三千ドル、銅メダル千五百ドルと破格であった。しかも敗者復活戦がなくなり、これまでの〃効果〃判定が無くなり、延長戦のゴールデンスコアも五分間から三分間に短縮された。
 今大会は以前厳しかった場外注意がほとんど無くなり、思い切って一本を取りに行くスリリングな試合が続出した。
 世界の強豪二十五カ国、二百人の選手が参加した。もちろん日本からも男女あわせて十八名が出場した。試合は四日午前十時から予選が開始され、午後四時に開会式とIJFのビゼール会長の挨拶と、ブラジルのパウロ・ワンデレーCBJ会長の開始宣言で幕を切って落とされた。
 まず敗者復活戦が無いという事は負けたら、即入賞するチャンスは無いので、初戦から死に物狂いの接戦が展開された。運悪く一回戦からオリンピックや世界選手権のチャンピオンと当った選手は、気の毒としかいいようがない。そして必死の奮闘もむなしく消えていった好選手もたくさんいた。
 敗者復活戦が無くなるとシード選手もいなくなり、各自が運と実力の勝負にかけるしかない。全日本選手権大会にも敗者復活はないが、前回の優勝者と二位がシードされて、左右に別れる。組み合わせは抽選である。
 しかし五千ドルの賞金は選手たちにとっては大変な魅力である。死に物狂いで戦って優勝の名誉を得ても、メダルだけでは情けない。もし私の選手時代に優勝したら五千ドルなんてもらえたら、骨の二、三本折れても、少しぐらいのケガなんてなんでもなかったろう。ハングリーの者がこうなると強いし、ブラジル勢は頑張る。
 結果はフランスが金メダル三、銀メダル二、銅メダル四の合計九で一位、ロシアが金三、銀〇、銅三で二位、日本は金二、銀四、銅三で三位でブラジルは金一、銀四、銅五であった。
 特に最後の一〇〇キロ超級ではダニエル・エルナンデスが日本の棟田康幸をゴールデンスコアで一本で下し、決勝戦ではやはり日本の立山広喜を接戦で破り、ブラジルに金メダルをもたらした。彼は百五十キロの巨体で、ピネイロス・クラブに所属、一時左ひざを負傷して北京オリンピック、パンアメリカーノ大会も出場できなかったし、引退もささやかれていた。それが今回は奮起して、リオの世界無差別級チャンピオンの強豪棟田を一本で下したのは見事というほかはない。   (つづく)(筆者は柔道家。一九七二年ミュンヘン五輪にブラジル代表として出場し、銅メダルを獲得した。石井道場館長)

写=100キロ超級で金メダルを獲得したダニエル・エルナンデス選手(大会サイトより)