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「ゾナ・レスチの祭りになった」=ビラ・カロン=おきなわ祭り今年も盛況=来年から2日間開催へ

ニッケイ新聞 2009年8月21日付け

 ビラ・カロン沖縄県人会(知花ルイ会長)主催の「おきなわ祭り」(上江田エドアルド実行委員長)が十五日、サンパウロ市東部の同支部会館前運動場で開催された。七回目の今年は約三万人が訪れ、県人移民百周年を祝った昨年にも劣らない賑わいを見せた。同祭りは来年から、二日間にわたって開催されることが決まっている。

 サンパウロ市の公式行事に定められている同祭りは、今年も設備、音響などを市やサンパウロ・ツリズモなどが援助。会場には沖縄の郷土料理など、各支部を中心に約六十の屋台が並び、終日混雑する盛況を見せた。
 名物のヤギ汁(ヒージャー汁)を販売したサンマテウス婦人会(安里勝子会長)は、前日から十頭分の肉を用意。県系ばかりでなく、興味深そうに質問する非日系ブラジル人の姿も見られた。「食べたことがないから敬遠するけど、味見して『おいしい』って言う人もいますよ」と話すのは、同支部の高嶺ケイ子さん。カウンターで接客に大忙しの様子だ。
 地元カロン婦人会(長浜清美会長)による沖縄そばも人気の品。今年は約七百杯を用意した。トリガラと豚骨から取る出汁は、二日前から準備してきたという。
 昨年の祭りでは、沖縄県人ブラジル移民百周年記念の祝賀パレードが支部会館前の道路で行われたこともあり、一日で三万人以上が訪れた。
 今年も午後から次々と来場者が増え、夕方ごろにはまっすぐ歩けないほどの賑わい。後援のサンパウロ市やサンパウロ・ツリズモなどからの依頼もあり、来年からは土・日の二日間開催することが決まっている。
 「天気に恵まれ、昨年と同じくらいの人が来てくれた」と喜ぶ知花会長は、「婦人会や関係者の皆さんのおかげ」と語り、さらに「来場者が沖縄の文化に触れ、皆で楽しめることを子孫として誇りに思う」と話す。
 会場中央の特設舞台では正午過ぎから、沖縄の芸能を中心に約三十の演目が次々と披露された。
 ラジオ体操、合同演奏で開幕。その後も民謡、舞踊、古武道、歌のほか、エイサー太鼓、空手など百人以上の規模で繰広げられる迫力ある演目に、来場者たちから大きな拍手が送られていた。
 祭りの原点、盆踊りも二回行われ、炭坑節などの曲が流れる中、日系非日系を問わず踊りの輪が二重三重に広がった。
 当日はウィリアン・ウー連邦下議や西本エリオサンパウロ州議なども来場。午後七時ごろから行われた式典には飯星ワルテル下議や後援のレアル銀行から清水オリジオ取締役、神谷牛太郎、羽藤ジョージ両市議、サンパウロ・ツリズモ理事など多数の来賓が訪れた。上江田実行委員長は役員、関係者、そして来場者に大きな感謝を表わし、「ぜひ来年も来てほしい」と呼びかけた。
 式典後も祭りは続き、午後十一時ごろ、全員参加のカチャーシーで閉幕した。
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 沖縄県人会の中で最大の会員数を有するビラ・カロン県人会。「おきなわ祭り」は二〇〇三年、知花良治支部長の時代に「夏祭り盆踊り大会」として始まった。「当時はあちこちで盆踊り大会をやっていて、私たちでもやろうと始めました」と振り返るのは、第一回目の実行委員長を務めた高安宏治さん(元支部長)。
 一年目の入場者は八千人ほど。カロン地区に沖縄系が多いこともあって二年目から「おきなわ祭り」と改称したが、入場者は一万五千人ほどだったという。
 「若い人たちが一生懸命やってくれて、もう私たちの出る幕はないくらいですよ」と笑う高安さん。「すっかりゾナ・レスチの祭りとして、板につきました」と嬉しそうな表情を浮かべた。

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