「宮崎県南米移住史」ポ語版完成=移住の歴史を新しい世代へ

ニッケイ新聞 2009年9月11日付け

 ブラジル宮崎県人会(黒木慧会長)は、宮崎県人の移住の歴史をまとめた「宮崎県南米移住史」(〇三年、宮崎県南米移住史刊行委員会発行)のポルトガル語翻訳版「HISTORIA DA EMIGRACAO JAPONESA PARA AS AMERICAS」を発行し、八月二十五日、リベルダーデの東洋文化会館で出版記念祝賀会を開催した。翻訳版は地名などを加筆、修正し約二年の歳月を経て完成した。
 黒木会長は開会の挨拶の中で、六十周年式典が盛大に開催されたことを説明し、マナウス市やイツペーバ市に工場がある自動車メーカー、ホンダロック(本社=宮崎市佐土原町)やトッパン・プレス印刷出版(奥山啓次代表取締役)など、関係者に謝意を表した。
 続いて吉加江ネルソン名誉会長が翻訳の経緯を説明、協力してくれた関係者に謝意を述べた。さらに、「口から出す言葉は消える。本に書いた言葉は残る」と述べ、「より多くの宮崎県人の子弟達にも読んで欲しい」と挨拶をした。
 同書は、宮崎ブラジル親善協会の徳永哲也理事(72、福岡)が十一回来伯し一人で取材、執筆したもので、日本人の海外移住の歴史から宮崎県の南米移住までを紹介。史料・年表編ではコチア青年や花嫁移住者、県費留学生など緻密な調査に基づいた詳細なデータが掲載されている。
 徳永さんは、一九七四年、県人会二十五周年の時にMRT宮崎放送の記者として来伯し、トメアスーなどで活躍する県人や留学生OBに焦点を当てた番組を製作したのがブラジル、そして日系社会との出会いだった。その時、移民に対して興味と関心を持ち、来伯のたびに移民関係の史料を収集した。
 定年した九八年に同協会の事務局長に就任してからは、宮崎を訪れる留学生たちの世話も行ってきた。そのような経緯から執筆するようになったという。徳永さんは「協力いただいたみなさんに感謝する。今日は、当時お世話をした留学生の顔を見られて嬉しいです」と語った。
 同書の翻訳版はITCOM PACTOR社でコンサルタント業務を手掛けるエリアス・アンツーネス氏(71、ロンドリーナ市在住)により翻訳された。同氏は六二年から二年間、大阪外語大学と東京大学で国費留学生として学び、六八年から二年間在日ブラジル大使館に勤務した。今回の刊行は、同氏と親交の深い吉加江名誉会長から誘われたことで決定した。エリアス氏は「地名や人名の翻訳に苦労した。日本に対する恩返しです」と感想を語った。
 同書の販売、または配付方法は未定。詳しくは同県人会(電話=11・3208・4689)まで。