「意義ある第一歩の年」=第61回全伯短歌大会=総合優勝 崎山美知子さん=「おだやかに老いゆく日々を願いおり冬ざれの街を包む夕焼け」

ニッケイ新聞 2009年9月17日付け

 ニッケイ新聞と椰子樹社(上妻博彦代表)が共催する第六十一回全伯短歌大会が十三日、文協ビル五階で開催され、今年も五十二人が参加し、楽しい時間を過ごしつつ研鑽を重ねた。当日は、日系文学史の調査に来伯していた国際日本文化研究センター教授、細川周平さん(54、大阪府出身)も出席するなど、近年高まりつつある日本からの注目を感じさせるものとなった。
 「みなさん百一年目の顔をしてますね」と司会の多田邦治さんが元気に語りかけると、参加者らは笑顔でうなずいた。
 上妻代表は「今年は椰子樹七十一年、大会六十一回目、移民百一周年という三つの一が始まる意義ある第一歩の年」と位置づけ、昨年発行した百年年記念合同歌集には予想を超える百三十人もの参加があったことを喜び、「日本人の心と言葉、息づかいを忘れないよう実作研鑽しましょう」と呼びかけた。
 先亡者に黙祷を捧げた後、細川教授から「フォーリャやエスタードに文芸欄はない。日本語の文芸活動は特別なもの。椰子樹を創刊号から読み直し、一つ一つに深い感銘を受けている」とのあいさつがあった。
 全伯大会の総合部門では、崎山美知子さん(三十九点)が優勝し、二位は青柳房治さん(三十七点)、三位は原君子さん(三十三点)、四位は三十二点の同点で上妻泰子さんと多田さんとなった。
 参加者同時が採点し合う互選高点歌部門では、原君子さんの「点ひとつ有るか無きかと辞書めくる回数ふえゆく歳(とし)を重ねて」(二十九点)と、崎山さんの「おだやかに老いゆく日々を願いおり冬ざれの街を包む夕焼け」が二十九点の同点一位となった。
 二位は青柳さんの「遠慮なくものを頼める娘(こ)と住みて吾が晩年の恙(つつが)なき日々」と、多田さんの「水の面(も)に生(うま)るるひかりをことごとく掬(すく)いゆくがに川風の吹く」が二十八点の同点二位だった。
 代表選者が選考する代表選高点歌では、青柳さんの句が八点で一位。崎山さんの句が七点で二位。酒井文子さんの「なつかしき方言まじえ弟の話言葉が亡父に似て来し」が六点で三位についた。
 当日に作句された題詠「節目」では、酒井祥造さんの「人生の節目とぞ思う農経営息子にゆずり短歌(うた)詠む日々」が一位、青柳ますさんの「ブラジルに渡りしことに悔いはなし節目ふし目に短歌を詠みつつ」が二位、高橋暎子さんの「巣立ちゆく子ら一樹ずつ植樹せり未来に夢を託す節目と」が三位になった。
 来月九十四歳で当日最高齢にして、五十八回も今大会に出席している安良田済さんから出題された独楽吟では、梅崎嘉明さんの「ふるさとの古き歴史のよみがえり飛鳥川べり語りつつゆく」、アベック歌合わせでは「はるばると海を渡って君と来し(真藤浩子)異郷に築く夢の花園(筒井惇)」が一位となった。
 当日は、昨年までの岩波菊治賞に代わって設けられた「第一回ブラジル短歌賞」の発表も行われ、酒井祥造さん、神林義明、田中朝子、尾山峯雄四氏が佳作に選ばれた。
 当日はサンタカタリーナ州のジョインビレから、年頭の宮中歌始めで選ばれた筒井さん(74、三重)も参加した他、パラナ州クリチーバ市からも最年少の宮本まみ子さん(37、三世)も参加。年は若いが投稿歴は二十年以上と古く、「子供の頃から日本語学校の先生に誘われて椰子樹に投稿していた。同年代では誰も仲間はない」と笑う。「先生が亡くなった今、教えて頂いたお礼の意味で私が出来るだけ参加していきたい」と語った。
 バウルーから参加する酒井祥造さん(82、北海道)は「二十五年間欠かさずに来ている」という。「日本文化や歴史は、知れば知るほど凄さを実感する」とし、満足げな表情を浮かべた。