援協サントス厚生ホーム=創立35周年、盛大に祝う=「移民の家」から老人施設へ

ニッケイ新聞 2009年9月19日付け

 「移民の家」を譲り受け、同地に建てられた養護老人ホーム「サントス厚生ホーム」(サンパウロ日伯援護協会傘下、遠藤浩経営委員長、斉藤伸一ホーム長)が創立三十五周年を迎えた。十三日、大部一秋在聖総領事夫妻や千坂平通JICA聖支所長夫妻、中井貞夫サントス市議、原沢和夫元援協会長、森口会長らが駆けつけ、恒例「はるまつり」で節目を祝った。
 サントス港に着く新来移民の一時休息所として一九六〇年に開所した「移民の家」。通関にかかる時間をしのいだり、出迎えの人との待ち合わせ場所として移民らが過ごした場所だ。援協は同家の運営団体として発足した。
 しかし、飛行機で移民する時代に突入し利用者が激減。一方、援協は七一年にサンパウロに老人施設の厚生ホームを開設したが、老人問題は深刻化していた。援協は海外移住事業団から「移民の家」を無償で譲り受け、七四年に現ホームが生まれる。
 「当時、入居者の九五%は一銭も払えない人だった。落ちぶれた人ばっかりでねぇ」と振り返るのは山下忠男専任理事。厚生ホームで主任を四年、三十五年前にサントスに移ってからは初代ホーム長を三年務めた。
 〃ピンガ禁止令〃もあったというが、「それじゃ可愛そうだってことで夕食のみ一杯って決めたりしていたよ」。
 斉藤ホーム長によれば、現入居者は五十(女性三十四)人で平均年齢は八十三歳。半数が戦前移住者だ。「常にコレ不足」と指で金を数える仕草をしてみせる。
 「改装の時期にきてるしね、やることがありすぎる」と苦い顔をしながらも、「入居者は元気ですよ。結構自由だし、責任感もって草木の手入れとかやってるのがいいんだろうね」と現状を説明した。
 式典は、入居者が見守るなか行われ、先没者への黙祷、来賓祝辞や挨拶に続いてケーキカット。大部総領事は、「神戸と海で繋がっているサントスは『移民の心のふるさと』」と位置付け、「人生楽しんで欲しい」と言葉を送った。
 入居歴二十五年の知念幸成さん(89、沖縄)は、「何もかも自分でしてますよ。歌うのが好きだね」と話し、祭りに来ていた一歳の孫に沖縄民謡を歌い聞かせていた。
 サンパウロ市からはバス二台が出て船で小一時間サントス港を遊覧した後、同祭で新鮮な海の幸や日本食を心ゆくまで楽しんだ。
 腕を振るったのは、サントス日本人会や同婦人会、エストレーラ・デ・オウロ・クラブのボランティア五十人だ。
 二日前から仕込み作業に取り掛かり、「みんな若いから元気。明日どっと疲れがやってくるのが怖いけど」と笑う婦人会のみなさん。
 会場では花柳流金龍会の日舞やサンビセンテの太鼓が披露され、祭りに華を添えていた。