アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《31》=民家裏庭の手作り土俵=全伯制覇した北伯相撲

ニッケイ新聞 2009年10月9日付け

 パラー州サンタイザベル市の一般民家の玄関で呼び鈴を押して入れてもらい、家を通り抜けて、裏庭の洗濯物をかき分けて奥へ進むと、ようやく探していたものが見つかった。
 土俵だ。裏庭とはいえ、生えている樹木はアマゾンそのもの。濃厚な森の匂いのする中に仮設土俵はあった。屋根まで作ってあり、手間がかかっている。
 パラー州相撲チャンピオン、プリニオ・セーザル・ブロンセ・デ・モウラ選手(21)に会いに自宅に行くと、「土俵で練習してるよ」というので探すと、この友人宅の裏庭だった。
 ミジエル・フォルメント選手(19)を相手にすり足から始まり、四股を踏み、突き出しの練習などをして玉のような汗を流す。聞けば、現在、州内で常設土俵は第2トメアスーにしかない。
 モウラ選手は「サンタイザベルにも以前はあったが、数年前に大雨で流されてしまい、2年前に友人にお願いして裏庭に土俵を作らせてもらった」という。以来ここで毎週練習している。
 173センチ、102キロ。01年にはじめ、幼年、準少年、少年、大人と各階級を成長と共に制覇してきた。
 「藤城に誘われたのが始めたきっかけ。相撲がもっとブラジル社会に認知される存在にしたい。日本のスポーツなんだから、もっと日系協会から支援がほしい」と地元の協力を強く訴えた。
 同市には、大相撲時津風部屋で稽古をしていた藤城勝志ジェラルト(二世)さんがおり、全盛期の05年には全伯大会の男子総合優勝まで成し遂げた。現在は訪日就労中だが、彼が育てたモウラ選手の世代が全伯、世界大会で活躍している。
 現在、サンタイザベル市スポーツ局長補佐として、市立体育館の管理をするアレシャンドラ・ドス・サントス・マルケースさん(25)も、その一人。05年の全伯大会で中量、無差別級の二階級制覇を成し遂げ、06年の世界大会で3位の成績を残そうとした。
 ところが「ドーピング検査に引っかかって、2年間の活動停止処分になっちゃった。同僚からもらった痩せ薬が原因だと思う。まったく泣いたわ、あの時は」と無念の過去を振り返る。07年11月に男児を出産し、育児と仕事に忙しい。
  ☆    ☆
 一方、トメアスー文協の海谷英雄会長は「相撲だけは毎年とぎれたことがない」と胸を張る。72年から37回も欠かさず相撲大会を開催。「年2回、1月と7月にやったこともある。カニンデー地区で北伯大会もやった」。歴史をひもとけば、入植翌年の1930年に「入植1周年記念大会」をしたというので、まさに筋金入りだ。
 角田修司さんも「デカセギで日系の若者がいなくなり、ほとんどブラジル人になった。それでも礼で始まり礼に終わる」とし、今も45人も力士がいると説明する。
  ☆    ☆
 パラー相撲連盟(二ッ森一次=かつじ=理事長)の専務理事、長浜雅博さん(61、青森)は、州全体で120人も選手がいるが「日本人の顔をしているのは3人」という。サンパウロ州同様、日系の相撲離れが進んでいる。
 「むしろ、100%近いブラジル人が相撲を取ってくれていることが凄いと思う。相撲は勝てばいいのではない。勝ったときに土俵の上でガッツボーズをしたり、つばを吐いたりしてはいかん。みんなで相撲の礼儀をしっかりやらないと」と表情を引き締める。
 長浜さんは1960年にトメアスーに入植し、トメアスー産業組合、ジャミックを経て、80年からベレンに出てきている。甥っ子が「魁心(かいしん)」=友綱部屋、三段目=として大相撲でがんばっている。
 「我々のような世話をしている人は、金ではなく感動で返してほしいと思っている。自分が若い時もサンパウロまで大会に連れて行ってくれて、タダで飲み食いさせてくれた。今度は自分の番が回ってきた。あの当時の恩返しみたいなもの」。
 相撲はただのスポーツではない、日本の国技だ。日系非日系を問わずそれを広めることは恩返しである――そんな気概が強く伝わってくる。(続く、深沢正雪記者)

写真=サンタイザベルの知人宅の裏庭に仮設した土俵で練習する選手達