アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《35》=環境と取り組む日本人=森林農業やNGO活動で

ニッケイ新聞 2009年10月17日付け

 JICA専門家としてアマパー州に派遣された高松寿彦さん(65、長崎)=トメアスー在住=は、森林農業を「農業と林業を、場合によっては動物を飼ったり魚を養殖したりすることも含めて、同じ場所で同時並行的におこなう生業のシステム」と定義する。
 彼のセミナーの中で、現地の受講者から「我々は森林農業を以前から行っている」との意見もでた。それもそのはず、もともとは河民の庭先を見て発想されたからだ。
 約40年前、胡椒の病害に苦しんでいた坂口陞さん(のぼる、和歌山、故人)は近隣の原住民の生活と農業を視察する3泊4日の小舟の旅に出た。その時になにげなく原住民の家の庭を見ていて、これを発想した。
 「何よりの収穫は庭の延長面に出来上がった果樹園を見たことだった。様々な果物の木が一見無造作で雑然と植えられているが、よく見ると自然の植生にもよく似た生態的構成をなす畑の姿だった。坂口氏はその姿こそ、アマゾンの自然の摂理にかない、人に豊かさをもたらして止まない理想的な畑の形であると確信するに至ったのである」(『トメアスー組合60年史』40頁)。
 この経緯が全てを物語っている。胡椒という単一作物大規模栽培でつまずいた日本移民が、河民の知恵を日本的発想で解読し営農に活かした。
 しかし、発想の元となった焼き畑農業の生産性はけっして高くない。
 高松さんは書く。「焼き畑は主に家畜に与える餌としてのトウモロコシを作るために開かれてきました。(中略)その多くが近親交配で矮小化し、回虫で痩せている極めて生産性の低い豚に食わせるためにです。ヤマを倒して焼き、2、3回トウモロコシを作っては畑を放棄してきました。自然を犠牲にし、労する割には住民の向上につながりませんでした。できれば焼き畑は開かないで済むなら、その方が良いのです。しかし、一端開いたなら、生産性が高く、収入に結びつき、低コストで持続可能な、環境にも整合性の高い森林農業の永久畑に仕上げていくべき」と訴える。

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 「森林農業の基礎となっているのは有畜立体農業という昔からある考え方」とは佐藤卓司さん(62、東京、東京農大拓殖卒)だ。71年に移住、74年からブラジル永大に就職した。
 同社は世界的環境団体組織から、執拗な攻撃を受けて大変な苦労をした。何十万立米という木材を買っているのに、1台のトラックに9立米の問題の木材があったために、さも大問題であるかのようにテレビのニュースでも流された。
 「土地の権利関係、地券書類もアマゾン地区では全く整備できておらず、近年厳しく検査を行ったところ、ほとんどの森林管理プロジェクトが土地書類に問題があるとして認められなくなってしまった。こうなると木材業界はアウトローに追いやられて、全ての森林破壊の責任を負わされるような風潮に拍車がかかる」(『東京農大卒業生アマゾン移住50周年記念誌』79頁)。
 その反省から00年、社内にNGO団体ASFLORA(アマゾン森林友の会)を作り、環境に取り組む姿勢を幅広くアピールしはじめた。30年余り務めて副社長にまで昇格したが04年5月に退職。同社は昨年9月に倒産申告をした。
 しかし、佐藤さんはNGO活動を続ける。地元の公立学校の小学生などを対象に、森の役割、生態系の重要性を演劇方式で分かりやすく教える。毎月2回、年間3千人に伝えている。
 会場となる種苗センターの森の小道では劇が行われる。森の小人、森の守り神クルピッタ、木こり、オウム、インディオ、祈祷師など地元の子供になじみ深いキャラクターが出てきて、環境の大切さを訴える。
 「参加した子供は、自分の親に注意するようになる。将来を支える子供に分かってもらうことで、いずれ社会全体の認識が変わる」。大樹を育てるように、将来の良心的かつ環境意識の高い庶民層に期待する。(続く、深沢正雪記者)

写真=高松寿彦さん(上)/佐藤卓司さん