ホーム | 日系社会ニュース | 模索続くデカセギの再出発=浜松国際交流協会の堀さん=帰伯者の現状調査で来伯=「出稼ぎではなく移民」

模索続くデカセギの再出発=浜松国際交流協会の堀さん=帰伯者の現状調査で来伯=「出稼ぎではなく移民」

ニッケイ新聞 2010年1月12日付け

 「彼らはもう、出稼ぎじゃなくて移民なんです」――。全国最多のブラジル人が居住する静岡県浜松市の財団法人・浜松国際交流協会(HICE)で主任兼日本語コーディネーターを務めている堀永乃さん(ひさの、34、同市)が、昨年末から今月11日まで来伯した。「ブラジル人たちが、『この町で良かった』って思えるよう、町を変えていかないといけない」と多文化共生を目指して奮闘する堀さんにインタビューした。
 訪日就労するブラジル人について堀さんは、「レッドカーペット(催事などで要人を迎えるときに引く赤い絨毯)の上で生活している」と表現する。「だって、仕事の送迎は派遣会社、お腹が痛くなったら派遣会社が病院を手配してくれる、通訳がいてポルトガル語で生活できる、次の仕事も派遣会社が探してくれるでしょ」
 甘やかされていたとでも言わんばかりに、堀さんは、「彼らは自分でキャリア(職業)プランが描けない」と指摘する。
 レッドカーペットの上で生きてこられたデカセギの生活形態が、この危機で崩された。つまり、「派遣会社に登録して、ひたすら待つ」状態が安泰でないとの自覚が広まってきた。
 「今まで工場の単純労働者になるしか仕事の就き方が分からなかった」
 最盛期には市内だけで2万人を数えたブラジル人は、今月までの2年間で約1万5千人に減少。政府の帰国支援金制度に申請したのは、ハローワーク浜松によると昨年末までに1789人に上る。
 HICEは、日本国厚生労働省の「日系人就労準備研修」(09年度予算10・8億円)を全国に先駆けて取り組んだ。5月から年末まで、2、3カ月間日本語などを学んだ380人のうち、現在再就職したのは230人。全国50都市以上で行われた同事業の中でも驚異的な成績だ。
 「日本語は日本で人間として生きるためのツールだということを伝えたかった。それだけじゃない、ルールや税金の仕組み、マナー、すべて再教育しました」。今では八百屋、携帯電話会社、大工など、危機前には聞かれなかった職に就く。
 しかし失業状態から脱出できない150人はほとんどが50、60代。「日本人でもこの年代じゃ難しいのに」と頭を悩ませる。
 今回2度目の来伯はプライベートだが、帰伯者の現状、就職事情などを調査することが目的。ロータリークラブにも現状を報告した。
 記者が取材した5日は、ISEC(文化教育連帯学会)の中川郷子さんと、グルッポ・ニッケイの島袋レダ代表と情報交換し、協力を約束しあった。「帰国するのも、日本に残るのもどっちも難しい」と感想を述べる。
 3年前、ロータリークラブを通じて初来伯した際、静岡出身の98歳の老移民と出会った。「日本にいるブラジル人のことを何とかお願いします」と託された使命が、堀さんの原動力だという。
 HICEで8年間、借金の解決などに関わるなど、一対一で向き合ってきた。「裏切られたこと、悲しいこともあった。でも『出会えてよかった』っていう声を聞くと、それで良かったって思える」と目頭を潤ませながら、「『浜松で良かった』って思ってもらえるようにしたい」と話していた。

image_print