美空ひばりフィルムコンサート=前代未聞!文協がアゴ足持ち?=事務所関係者4人が来伯=日本往復ビジネスクラス=予算20万レは企業頼り

ニッケイ新聞 2010年2月2日付け

 文協初!? 幹部らが企業を回り、関係者の来伯資金20万レアル(約1千万円)を集める―? 昨年12月12日にあったブラジル日本文化福祉協会(木多喜八郎会長)の評議員会で強行採決された「美空ひばりコンサート」(8月予定)のため、来伯する美空ひばりプロダクションの加藤和也社長夫妻、フィルムコンサート事務局の西川昭幸事務局長、元付き人の関口範子氏ら、計4人の日本往復航空運賃、7万6千5百レアル(約380万円)を含めた国内移動・宿泊・飲食費を文協幹部が企業を回り、集める方針であることが明らかになった。先月29日の記者会見で同コンサート実行委員長の頃末アンドレ氏(評議員会副会長)は、「収益は福祉団体に寄付する慈善事業」と強調しているが事業収支はなく、4カ所で行うとする公演の場所も決まっていない。

文協〃主催〃までの経緯=中平マリ子氏が発端

 この話の発端は、ブラジルで公演活動を続ける歌手の中平マリ子氏。同氏はかつて広告代理店に勤務、ひばりプロダクションとも繋がりがあることから、加藤社長に「ブラジルに行く方法はないか?」と質問を受けた。
 私的にも交流のある頃末、吉岡黎明(社会福祉担当理事)両氏を通じ、木多喜八郎会長と相談した結果、文協の主催事業として受けることになり、日本側にもその旨連絡済みだという。
 文協事務局に問い合わせたところ、主催事業であっても、文協幹部が日本からの渡航費や滞在費を全て工面する〃アゴ足付き〃の招聘は55年の創立以来、かつてないという。

6人分の航空ビジネス運賃、18万レを強行採決

 総事業費30万レアル(約1500万円)―。
昨年末の評議員会当日に、この事業計画を知らされた評議員らからは当然、批判が起きた。
 「慈善団体どころか興行団体ではないか」「事業の優先順位があるはずだ」「ひばりさんは故人。フィルムコンサートで何故、そんなに費用がかかるのか」…。
 評議員会では、内訳も発表されないうちに「時間がない」と文協お得意の「反対の人は挙手を」という方式で強行採決され、呆れて会場を後にする評議員の姿もあった。
 驚くべきことに木多会長はこの予算案を知らなかった。つまり、事前に承認された理事会では予算も事業内容もないまま、実施だけが承認されたということになる。
 この30万レアルの6割は、前出の4人分に加え、中平氏とその母、芙早恵さんもあわせた6人分のビジネスクラス代金18万レアル(約9百万円)が入っていた。
 強行採決したものの予想以上の反発を受けた実行委員会は予算案調整し、加藤社長夫妻はビジネスクラス(6万7千767レアル)のまま、西川、関口両氏はエコノミー8808レアル、中平親子は個人負担となった。
 しかし、残りの約13万レアルは、6人分のブラジル国内の移動、ホテル、飲食費、広報代などになっているという。

地方公演の場所は未定…

 この負担は一口2万レアルとして、文協が5口(10万レ)を負担、残りの分は、現地団体(4カ所)に委託、各一口分を負担してもらうという。しかし、開催予定地はただの一つも決定していない。
 「ひばりさんの人気は凄い。やりたがっている団体は多い」と吉岡氏は力を込めるが、「2万レアルの協力企業を探す」もしくは、「入場料として来場者に負担してもらう」という条件がついた場合はどうなるだろうか。

■【記者の目】■一部幹部が牛耳る文協の〃異常〃

 「美空ひばりさんは〃日本文化〃です」。中平マリ子氏の熱弁に鼻白んだ。何度にも渡り、ブラジルで公演を重ねた実績は認めよう。だが、いつから、興行師のような役目を任じるようになったのか。
 文協55年の歴史の中で、数多くのイベントや公演を行ってきた。
 しかし、あくまでも文化庁や交流基金の支援によるもので、関係者の交通費を文協幹部が企業回りで金策に回ったことはない。
 そもそも、歌手本人ではないプロダクションの人間、それも4人分の〃アゴ足〃(食事・交通費)を文協自身が集める必要がどこにあるのか。
 「加藤社長にあいさつはしてもらいます」と話す頃末委員長―高い挨拶料だ―によれば、このコンサートは〃慈善事業〃と強調する。
 収益金を福祉団体に寄付するというのだが、見込み金額の説明はない。つまり、事業収支は丼勘定ですらない。
 そんなことで企業が納得するものなのだろうか。文協の看板を使い、「余ったら寄付します」というやり方では、ブラジルを代表する日系団体の信用を失うことにはならないか。
 頃末氏は、同事業の意義に「地方との連携強化」を挙げていたが、それを言うなら、そもそも順番が逆だろう。
 企画自体を地方に打診し、可能性を図った上で、収支も固めた事業計画を理事会、そして評議員会に通すべきものだ。 これでは、〃大上段〃と今まで揶揄されてきた文協のやり方と変わりはない。
 それも熟考した上のことではなく、中平氏との〃友情〃に重点がかかっているのは明らかだ。それなら個人でやるべきで、文協の名前を使うべきではない。
 やれば終わりのフィルムコンサートに何故、それほどまでに労力を費やすのか。他にやるべきことはないのか。大講堂改修よりも優先順位が高いのは何故か。もし赤字になった時、この事業を推し進めた幹部が責任をとるのか。
 歌を歌うわけでもないひばり事務所の皆さまのアゴ足代を稼ぐ文協幹部もご苦労さまだが、一体全体何のために、このイベントは行われるのか。これ以上、文協離れが進むとすれば、その理由は一部幹部の独善にある。(剛)