二世とニッポン語問題=―コロニアの良識にうったえる―=アンドウ・ゼンパチ=第10回=理想的なブラジル同化

ニッケイ新聞 2010年2月26日付け

 移民およびその子孫がブラジル文化によりよく同化するということについて、われわれは、反対どころか、むしろ、それを望ましいことであると考えているのである。しかし、移民の文化を圧迫するような同化の強制、または、親と子との文化的な関連をたちきるようなやり方は、決して賢明な同化政策ではない。
 民族文化は、その民族にとって、まさに生命にひとしいもので、もし、その文化が、不当に圧迫されれば、その結果は、極端な劣等感意識をおこさせ、おさえつけられた不満な気持は移民の精神上に種々な悪い影響を与え、かれらを、好ましからざる移民とすることは、すでに社会学者の研究によって明らかにされていることである。
 したがって移民の同化は、移民のすぐれた能力を充分に発揮させることを考慮した上で、促進されるべきもので、シャニムニせきたてられるべきものではない。ことに、一世の同化は、わたしの考えではほとんと不可能に近い。一世は、けっきよく、ニッポン文化の中で生活することによって、ほんとうに、その生活力を発揮させることができ、有能な移民となることができるのである。一世がその文化の中で生きるためには、その子どもと文化的なつながりを密接にすることが、当然強く要求されるのである。
 であるから、二世の同化さえも、ニッポン文化から、切りはなされたブラジル化であってはならない。すなわち、わたしのいう、ニッポンとブラジル両文化の合の子であるA型のものであることが、もっとものぞましいのである。
 このように移民の理想的な同化は、A型二世というプロセスを通って行われるべきで、この点から見るとき、現在の外国語教育法令は、非常な欠陥をもつ悪法であると言わざるを得ない。
 このたび、州議員平田進氏がこの法令を撤廃するためにたちあがってくれることは実によろこばしいことである。
 外国語教育に対する極端な制限は、前にのべたようないろいろ欠点を、すでにつくっているのであるが、この法令は、コロニアにおいて、けっして、完全に守られておらず、子弟の教育を、法をくぐってまでも、やっていることから、うれうべきいくたの事実が発生していることはイカンにたえない。
 はっきりした数字はわからぬが、ニッポン人の集団地では、至る所に、非合法な学校がつくられており、グルーポでの授業をおえた子どもたちが、資格のないニッポン人の先生から、ニッポンの小学校で使う教科書で父母の国のコトバを習っているのである。
 これらの非合法な学校は、地方官警の目をのがれるために、父兄も先生も、生徒も、非常な苦心と警戒のもとに、ひそかにかくれて開かれているものである。わたしはそういうものをあちこちで見たが、ある所では、両親や先生が、子どもたちに「もし、ブラジル人が、ニッポン語学校があるのかとたずねたら、そんなものはないといえ」と教えていたし、別の所では、ニッポン語教科書は、学校の中にかくしておいてもちあるくことを禁じていた。
 こうした精神的に悪いカンキヨウの中で、ニッポン語をならう子どもたちは、何かわるいことをしているのだという気持から、ブラジル人に対してヒクツになるか、でなければ法律はうまくごまかしてやればいいのだというずるい根性をもつようになる。このようにして、人格形成上もっとも重要な時期に、善と悪に対する道徳的な考え方が、きわめてあいまいなものとなって、子どもたちの頭の中にしみこんでいくことは、身ぶるいするほどおそろしいことである。