二世とニッポン語問題=―コロニアの良識にうったえる―=アンドウ・ゼンパチ=第15回=適正な日語教科書を

ニッケイ新聞 2010年3月9日付け

 現行法令のように、半禁止的なやりかたでは、ただいたずらに、もぐり学校をつくらせることになるだけである。そしてかくれている学校に対しては、教育局の監督は行われないから、そこで、どんな方法で、どんなことが教えられているかも分らないことになり、同化を促進するために、規定した教育法令が、かえって逆の効果をうんでいるのである。
 ニッポン語教育会議はコロニアの日語教育のうれうべき現状を打ちやぶって、ほんとうに、いい意味での同化が促がされるような「二世のための日語教育」ができるようにという目的で、活動をおこしたものである。
 年齢を全般的にさげることは、法令改正というメンドウな手続があるので、すぐ実現されるとは思われないが、地方都市の中学校では、フランス語、イギリス語の授業はできるのだから、ニッポン語だけが、14歳以上でなければいけないということはナットクできないことで、ニッポン語教育も地方都市なら現在でも当然、グルーポ卒業者には、許されるべきものであると思う。
 しかし、さらに一歩進めて、グルーポ入学と同時に、ニッポン語学校に通ってもいいということになれば、もぐり学校は完全になくなるから、すべての日語学校が、教育局の監督の下におかれるようになる。したがって一部の人が問題にしているような日語教育のやりすぎということも、教育局の監督をきびしくすることで、おさえることができる。
 それに、教育当局から認定された、二世にとって有益なのぞましい日語教科書を使わせたら、この方が、どれだけ二世の同化を促進することになるかしれない。
 二世用の教科書は、外国語教育令が改められるといなとにかかわらず、できるだけ急いで作る必要がある。なぜなら、現在では、たとえ公認されている学校でも、ニッポンの国語教科書はブラジル政府の認定しないものだから、これを公然と使うことができず、視学の目をごまかすような苦しい方法でこっそり使用されているので、教科書だけでも公然と使用されるものがほしいとは、すべての日語学校教師が切望していることである。
 新しく作られる教科書は、どんな方針で編集されるべきかについては、また、稿を改めてかくことにするが、とにかく、日語教育会議の目的は、ブラジル政府および社会に対して、堂々と進言していいことで、このために、まずい問題が起きるだろうというようなものでは決してない。よく説明すれば、必らず賛成をえられるものだということを信じている。
 (編注=これが執筆された50年前の状況を問題視して書かれたもので、現在とは状況が異なる。戦後の日本語教育界の苦悩を振り返る意味で、あえてそのまま掲載した)