コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年3月30日付け

 2世の娘さんが日本に行き温泉に入るときにきちんと水着をお召しになり湯船に浸かったと耳にし、思わず笑ったものである。が、これを笑ってはいけない。入浴文化の違いから生ずるものであり、ブラジルでは男も女もパンツにビキニで温泉プールではしゃぐ。尤も、一世移民にとっては、風呂(温泉)に何 故パンツなのと疑問も沸くが▼あのローマ国のカラカラ浴場は、1600人が入浴できるほど大きく、男女の混浴だが、キリスト教の影響から男の裸体も恥とされ各地の浴場も寂れてしまい閉鎖へと哀話の道を歩む。日本の温泉も大昔から混浴であったし、細腰の美人と筋骨隆々が入り混じって湯を楽しみ世間話の華も咲いたのである▼こんな光輝ある庶民らの習いも近頃は元気がないらしい。今から半世紀も前には、東北や北海道には混浴がいっぱいあったし、老いも若きも湯で肌を温め、おもしろおかしく歓談したものである。北海道に旅行し登別の奥にあるカルルス温泉の綺麗な公衆浴場も混浴であり、薄暗い電灯の下での湯浴みは旅の疲れをいやして呉れた▼この日本人の悦楽に風俗紊乱とかで禁断の鉈を振るったのは寛政の改革の松平定信だったし、幕末には英国の駐日公使・オールコックが「大君の都」で「混浴は野蛮」と非難しているそうだ。そして欧米思想の流入に従い「混浴は悪」の考え方が強くなったせいか、温泉にも水着姿のお嬢さんが大勢と聞けば、何とも哀しいような情けないような。あの峠や谷を越えての鄙びた温泉の混浴には、男女差や性の違いを超えたおおらかさこそが持ち味だし、麗しくも尊いのに―。(遯)