―デカセギ子弟の行く末―=チアゴさんの夢は日本に=高校中退し一家で帰伯=「一人でも戻りたい」

ニッケイ新聞 2010年4月10日付け

 「日本の高校を卒業したい」――。大学進学を真剣に考えていた高校3年の秋、デカセギで働く両親が失業、夢半ばにして中退したアラウジョ・チアゴ・ファリア・シルバさん(18、四世)。経済危機の犠牲者となり昨年11月に帰伯、サンパウロ州ポア市で非日系人の母、母の再婚相手、妹弟と一緒に暮し、スーパーマーケットで働く。「来年には日本に戻って勉強したい」と語るチアゴさんの夢は今も、日本にある。

 「高校の卒業アルバムに自分も載ったって、友達から連絡が入ったんです。ブラジルに帰国してから一番嬉しかった」と涙をうっすら浮かべて笑みをみせる。
 08年秋の経済危機直後に愛知県半田市で派遣従業員として働く両親の契約が打ち切られ、大好きだったという高校を中退して昨年11月に一家で帰国、3月の卒業式には参加できなかった。
 デカセギ子弟の中ではまだ珍しいとされる大学進学、さらに将来の夢まで描いていたが、一気に足場が崩れた。「正直、人生終わったと思った。悔しかった」と当時を振り返る。
 01年、10歳のときに訪日してから8年間、すべて公立校で日本人の子供に混じり学んだ。快活で積極的な性格は誰からも受け入られ、クラスでもムードメーカー的存在だった。日本語・ポルトガル語はほとんど不自由しない。
 愛知県立大府高校に通いながら、学費や携帯電話代を稼ぐために焼き鳥屋でアルバイトをしていた。「親に頼りたくない、自分は何でも自分でやりたいタイプ」。自立心が強いチアゴさんは、バイト先では信頼されて店長の代わりに店を開ける日もあり、今も仲間から「戻ってきなよ」とメールで誘われるという。
 そんなチアゴさんは、帰国直後のことを「家から出たくなかった。帰ってきたくなかったし、(日本と)全てが全然違って、友達もいなかった」と暗い表情で振り返る。
 今、「2011年夏に日本に戻りたい。そのために一生懸命働いて、日本で一人でもやっていけるよって親を安心させたい」と新たな目標を設定し、近所のスーパーマーケットで月給700レアルで一日中働いている。チアゴさんの持つ再入国ビザは3年経つと無効になってしまうためだ。
 目標ができてからは明るさを取り戻しつつある。帰伯前は耳に入るブラジルのニュースは悪いものばかりだったが、「持っていたイメージと全然違う。良い所もいっぱいありますね」と広い視野を持てるようになった。
 夢は、日本語とポルトガル語を生かして映画翻訳家になること。「映画がめっちゃ好きなんす。翻訳家って誰より先に映画が観れるでしょ?」と10代の無邪気な一面を覗かせつつ、「そのためにはせめて高校は出なきゃ。日本では仕事しながら大府高校の定時制に通おうと思う」と、親の反対を押し切ってでも〃帰国〃する決心は固い。