55年目のコチア青年=レジストロ、イグアッペを訪ねて=《2》=半世紀を取り戻す再会=レジストロ文協で交流

ニッケイ新聞 2010年5月7日付け

 世界でもまれな独身青年移住制度であったコチア青年移住。67年までの間に1次16回、2次35回で計2508人の若者たちが海を渡った。その青年たちの花嫁として渡伯した女性たちは約500人。9月の式典では、コチア青年55周年とあわせ、花嫁移住51周年も祝う。
 その歴史の第一歩を踏み出した1次1回の青年たち。今回の旅には山田貢さん(鹿児島県)、高橋好美さん(岐阜県)のほか、「皆がどうしてるかなと思って」クリチーバ在住の本多睦夫さん(大分県)もはるばる訪れた。
 今回初参加の南雲良治さん(1次3回、新潟県)と同地在住の木村多平さん(1次1回)は加茂農林高校の先輩後輩、レジストロ文協の金子国栄会長は南雲さんの後輩にあたるという。
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 親睦旅行の一行は昼食後、レジストロ西方のエルドラド市にある「Caverna do Diabo」を訪問。州立自然公園となっている同所の目玉は6億年にわたって形成された鍾乳洞だ。
 長さ約600メートル。現在では照明、階段なども整備され、観光地として申し分ない。40数年前に訪れたことがあるという白旗信さん(2次6回、長野)、諒子さん(長野)夫妻は、「当時はこんなにきれいじゃなかったけどね」と驚いた様子だ。
 じっとりと湿った洞窟散策を終え、バスはレジストロ移民資料館へ。予定より大幅に遅れたが、同文協の配慮で特別に見学ができた。
 金子会長の案内で館内を見学した後は、午後7時過ぎからレジストロ文協会館で同地青年・地元関係者との懇親夕食会が開かれた。イビウナで花卉栽培に従事、バスでの自己紹介で「死ぬまで現役でやっていきたい」と話していた白旗さんは、土産に花を持参した。
 冒頭、旅行世話人の坂東博之さん(2次1回、徳島県)は「44人の『若者』が訪問させてもらいました」とあいさつ。受け入れに協力した木村、金子会長ら関係者に感謝した。
 木村さんに続き、金子会長は「コチア組合、青年、花嫁の歴史なく移民の歴史は語れない。青年の方々の活躍は新聞、雑誌で知り喜んでいます」と述べ、「短い時間ですが楽しいひと時を過ごしてほしい」と語った。
 その後木村さんから、懇親会に出席した同地在住コチア青年の山口勉さん(2次12回、神奈川)、阿部光雄さん(2次5回、山形)、猪股正さん(2次10回、青森)、野村悟さん(1次14回、鹿児島)を紹介。坂東さんが旅行の参加者を一人ひとり紹介した。
 コチア青年全体では94人がレジストロに配耕されたが、多くは他所へ移った。新留会長は同地の青年の歴史に触れ「順応し、残った18人は茶や米、ゴザ、また商業などを通じて地域発展に貢献している。その努力に敬意を表し、誇りに思う」と述べた。
 さらに9月の式典についても紹介。「ぜひ夫婦おそろいで参加してほしい」と話し、協力を呼びかけた。その後は白旗諒子さんが記念文集について野村愛國編纂委員長の依頼文を代読し、寄稿を呼びかけ。杓田美代子さんが、式典で実施する写真展への写真提供を呼びかけた。
 郷土料理のマンジューバの刺身やすし、婦人会心づくしの料理を食べながら、一同懇談。同文協の民謡グループ「大和会」やYOSAKOIソーランの披露もあり、子供たちの熱演に大きな拍手が送られた。25年間子供たちに民謡を指導しているのは、コチア青年の山口勉さんだ。
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 1次1回で今回の旅行に参加した高橋好美さんは、木村多平さんと同じ農園に入った同期。高橋さんは2年で同地を離れ、レジストロを訪れたのは53年ぶりだったという。
 到着した時「変わっちゃったなー」と話していた高橋さん。渡伯当時は18歳。2年間苦楽をともにした木村さんと再会し、それぞれの家族のことなどを話したそうだ。
 自身はその後、ゴイアス、サンパウロ市へ移り、長年家具販売を営んできた。「木村さんはよくあそこで頑張った。(再会して)いっぺんに取り戻した感じです。本当に来てよかった」と話していた。
 夕食会は午後10時ごろに終了。一行は感謝の言葉を交わしホテルへ向かった。その後は、コチア青年の猪股さんが経営する日本食レストランで歓談する人もあり、初日の夜は更けていく。
(つづく、松田正生記者)

写真=踊りながら入場する民謡大和会の子供たち/レジストロ文協関係者と記念撮影