コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年5月29日付け

 今の若い人たちで「シベリア抑留」を知る人は少ない。あの大東亜戦争の末に満州にいた軍人や満蒙開拓青年団などの日本人がソ連軍に捕虜としてシベリアやモンゴルに連行され苛酷な労働に従事させられた悲劇である。65万人が連行されたとするのが定説だが、ロシアには76万人分の資料があり、現在でもはっきりした人数はわからない▼当時の関東軍総司令官・山田乙三大将や瀬島龍三中佐(伊藤忠会長)を始め宇野宗佑元首相などもあの厳寒の地で辛酸をつぶさに舐めている。帝国ホテルの名料理人・村上信夫や歌手の三波春夫もだし近衛文麿の長男・近衛文隆中尉は抑留中に死去している。ソ連の共産化教育は厳しく、池田重善曹長が吉村久佳少佐の変名を使い抑留者らを虐待した「暁に祈る」事件は、今も語り継がれる▼この苦闘の体験を素材にして胡桃沢耕史は「黒パン俘虜記」を発表し直木賞を受賞している。この作品で池田に名誉毀損で訴えられたが、胡桃沢は池田が悲惨な残虐を行ったモンゴルの収容所にいたと主張している。抑留者のうち6万人が死亡したとされるが、こんな哀しい話は尽きることもなく多い▼これら抑留者の47万3千人が帰国したが、これまで日本政府はシベリアなどで働いた賃金への支払いをしなかった。それがやっと「シベリア特措法」が今国会で成立しそうである。給付金は最高で150万円と多くはないが、それでも政府が本格的に取組んだのは評価したい。帰国した人の平均年齢は87歳前後だし生存者も7万から8万人とされるから、1日も早く給付金を手渡し、あの労苦に酬いたい。(遯)