学移連創立55周年=海外雄飛を夢見て=羽ばたいた学生たち=連載《1》=有り余る情熱で発足

ニッケイ新聞 2010年6月9日付け

 今年発足から55周年を迎えた日本学生海外移住連盟(通称・学移連)は、海外を志向する大学サークルの連合体だ。15年ほど前に学生派遣を中止して以来、事実上、OB会活動が中心になっているが、戦後、特色ある人材を送り出してきたことで知られる。今月27日にはJICA横浜で、55周年の記念大会と顧問会会長として指導にあたった故杉野忠夫・東京農業大学教授を偲ぶ会が開催される。この連載では、青年の夢を後押ししたその歴史を振り返りながら、かつての学生達の軌跡を追いかけていく。本連載のために10数人のOBを取材、その証言を中心に、日本学生海外移住連盟発行『学移連30周年記念誌』(以下、記念誌)を参考にしてまとめた。(金剛仙太郎記者)

 戦後の50~60年代、全国の大学には海外雄飛を夢見て、中南米事情の研究や「ワーク」と称して実地の農業などに汗を流し、海外へ目を向けるサークルが多かった。南米に興味と夢を抱いた全国の学生達の思いは1955年、「学移連」という果実として結実し、多いときで加盟校は60を超えた。
 学移連の第1期の高橋順治郎委員長(拓殖大)は記念誌の中で「当時(1953年)、635万人にものぼる海外からの帰国者に十分な職場を与える状況ではなく、まして学生には『大学を出たけれど』という時代でした。各大学のサークル活動も政治、経済、海外事情や音楽までと多様・・・」と述べ、日本人の海外移住の必要性が提唱されていた。
 学生のサークル代表者は「学生移住連合」を作り、日本海外協会連合会(海協連)に出入りし、方針を話し合ったり、講演会や座談会を開催したりしていた。
 当時、海協連発行の新聞「海外移住」では海外に対しての学生達の活発な意見が頻繁に紙面を賑わしていた。1953(昭和28)年12月号には、ラテンアメリカ研究会などの移民研究サークルがある大学などが集まり、海外移住問題座談会を開いている様子や、各サークル内では中南米事情の研究、ポ語講習会、学内農場での営農実習などが行われていたと掲載されている。
 このように、当時の学生の中には中南米の情報を欲する機運がかなり強くあり、有り余る情熱とパワーをもてあまし、行き場を探す姿がそこここにあった。そんな時「海外へ目を向けよう」と全国の大学に声をかけて団体を作る動きが、高橋氏と今村邦夫氏(日本大)を中心に進められた。
 55年6月25日、衆議院第二議員会館で設立総会が開かれ、学移連は正式に発足した。参加したのは東京農大、上智大、拓殖大、中央大、日本大、早稲田大、麻布獣医大、天理大、神戸大、神奈川大の30人だった。
 当時の活動の中心は、移住啓蒙のため海協連や経団連、代議士など移住関係者を講師に迎えた講演会などだった。しかし、大学の研究会の集まりで各大学の色というものもあり、統一した活動がとりにくく、マンネリ化していた。そこで、念願であったいわゆる「派遣団」の計画が立てられたが、財源の確保という難題が立ちはだかった。
 これを解決するために白羽の矢が立てられたのが、岸信介首相(当時)だった。(つづく)

写真=学移連第1回常任委員会。衆議院議員会館にて(1955年5月)(日本学生海外移住連盟創立50周年記念・記録写真集より)