ブラジル知るならニッケイ新聞WEB

コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年6月9日付け

 百年史編纂を手伝わせてもらって痛感するのは、年表や移民史に出てくるような事件や記念行事はけっこう詳細に分かったりするが、移民一般の生活の歴史が分からないことだ。生活様式が和風からどのように洋式(伯式)に変化していったのかを追うのはかなり難しい。例えば戦前移民はいつから洋式のパンツをはくようになったのか、明確な答えはどこにも書いてない▼冷蔵庫のない戦前の植民地で刺身はあったのか、ビールはどうやって冷やしたのか、戦時中に亜国産の小麦粉が入らなくなったときにウドンはどうしたのか、どうして焼きそばは日本で一般的なソース味でなく五目餡かけ式が一般に普及したのかなど身近な話だが経緯が書き残されていない▼それ以外にも公衆の場での日本語の使用や日本人の集会が禁止されていた戦争中に日本食レストランや料亭は普通に営業していたのか、医者のいない植民地での出産の様子、コーヒー耕地で墓はどうしていたのかなど、知りたいこと事はたくさんある▼それを調べるのが自分たちの役目だとは重々承知しているが、日々の仕事の傍らにやるには正直いってあまりに重荷だ。今多くの読者が七十代、八十代を迎えている。ぜひとも多くの人に自分史を書き残して欲しい▼一人一人が身近な生活体験、職業経験を書き残すことで、将来に対してとんでもない財産が残る。日本語教師なら教育現場の試行錯誤、主婦なら家庭内の日ポ両語の使い分けや食べ物の工夫の生活史、地元日系団体の歴史など、身近なところに後世にとって貴重な話が埋もれている▼本でなくて良い。そんな自分史を書いて史料館や新聞社に送ってほしい。(深)

モバイルバージョンを終了