学移連創立55周年=海外雄飛を夢見て=羽ばたいた学生たち=連載《2》=岸首相講演会きっかけに

ニッケイ新聞 2010年6月10日付け

 岸首相を講演会に呼ぶ作戦は、第3~5期の葛西清忠委員長(拓大)の下に富田真三氏(早大)、今村邦夫氏(日大)、菊池廷氏(農大)等によって進められた。同首相は59年、総理大臣として南米諸国を初公式訪問している。その首相に南米の話をしてもらう計画だ。
 当時は安保反対のデモが騒々しく町を練り歩き、日本中の学生たちは安保反対で反・岸派一色だった。それゆえ、学移連の行動は珍しかった。
 講演「南米事情講演会」は紆余曲折の末、59年9月18日、神田共立講堂において開催され、2千人以上の観衆を集め、マスコミを通して全国に学移連の名を知らしめた。御礼に悩んだ学生たちは農大畜産学科が作ったローストハムを贈った。その後、10月には岸首相から私邸の夕食会に招かれ、学移連14人が参加し連盟活動をアピールしている。
 葛西氏は記念誌の中で「・・・どうしたら派遣のことを政府にウンと言わせて金を引き出せるか考えたんです。それで総理大臣を引っぱり出して講演会を開き、南米の話を聞こうじゃないかという話が出ました・・・派遣を出すための一つの手段と考えていたのです。総理が(ブラジルへ)出発される以前から計画を練っていて・・・」と当時の胸の内を明かす。
 一方で今村氏は同講堂を選んだ理由について、「当時は安保闘争華やかなりし時で、大学の講堂を使用するわけにはいかなかった」と当時の世相を反映していた。
 大束員昭さん(72、福島、神奈川大)は「当時は全学連の圧力が強いあまり、それに参加しない罪悪感とか、身の危険も感じたことがあった」と草創期での思いを述べている。
 この講演会の成功がきっかけとなり、皇太子さま(現天皇陛下)ご成婚記念行事の一環として予算がおり、12月24日、学移連として初めての使節団「南米学生親善使節調査団」3人、葛西氏、山本博康氏(東外大)、山崎恭二氏(天理大)を派遣する。
 翌60年2月5日に「あめりか丸」にてリオに到着、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルー、コロンビア、ベネズエラ等で日系移住地、日系団体、政府諸機関などを回る3カ月の滞在だった。
 帰国後、葛西氏は「日本にある情報がいかに不確かであるか思い知らされた。見るもの聞くものすべてが驚きの連続」と語っている。調査団の成功は連盟員に大きな励みとなった。
 しかし、親善使節という形では毎年派遣はできず、人数にも制限があると判断して、別の形の派遣形式を模索していた。そんな時、農大から現地で働きながら実際の南米を体験し学ぶ、「Work Before Study」という考えが提案された。この思想は、後の学移連顧問会会長の杉野忠夫・東京農大農業拓殖学科教授の考えが反映されていた。
 色々検討の結果、まずは学移連で試験的に学生実習調査団の形で、案を展開することで合意した。だが、委員会の中には前例の無い形や最低賃金で働くことなどに対する疑問を投げかけるものが多かったので、ごく少人数で運動をスタートさせた。(つづく、金剛仙太郎記者)

写真=神田共立講堂にて、岸首相と学移連の学生ら(1959年)(日本学生海外移住連盟創立50周年記念・記録写真集より)