コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年6月15日付け

 あの大化の改新を成し遂げた中大兄皇子(後の天智天皇)が、日本で初めて時計を造り、これを使って鉦鼓を打ち時刻を知らせたと日本書紀には記してあるそうだ。これは漏刻という水時計だったが、「中国からの輸入品」の説もあり、どうもはっきりしない。けれども、この水時計を設置した天智天皇10年(671年)4月25日を日本は「時計の日」に決めている▼今の6月10日(陰暦4月25日)なのだが、あの壁画で知られる明日香村には、この漏刻に水を供給していたとされる導水路の遺跡も見つかっている。歴史的に見ると、最も古いのは日時計でBC3500年にはエジプトで使われていたが、雨や曇り空には利用できないので水時計に進む。これも時代が進むにつれ複雑な機構になりギリシャのプラトンは「目覚まし時計」を造り、これはこれで大変な進歩と発展である▼ただし―これらがどれほど正確だったかは、はなはだ疑問だし、今の原子時計とは比べようもない。このセシウム原子時計は、1年間に300億分の1秒未満しか狂わないし、数千年に1秒も狂わない。あの大きな振り子時計の発明は、幕末の頃であり、懐中時計から腕時計になったのは新しい▼しかも、この腕時計の普及に功績があったのが、あの飛行機王のサントス・デュモンと聞けば驚く。空を飛びたいと苦心していたデュモンは、懐中時計では操縦に不便なので仏の時計師ルイに腕時計を頼み製作されたのが「サントス型」といわれ、1904年であり、世の人気になって、今では誰もが腕にする隆盛に繋がっている。(遯)