日本語教師リレーエッセイ=第4回(下)=野に咲くタンポポの様に=ドウラードス・モデル校=城田志津子

ニッケイ新聞 2010年7月3日付け

 最近は、『親孝行』ということばはあまり聞く機会はなくなりました。逆に『子ども孝行』ということばが当用漢字に出てきそうな時代となりました。しかし、ブラジルでは家族を大切にし、親をとても大事にしています。そんな姿を見ていて感じることがあります。
 運動会の70歳以上の競技に『夢よもう一度』という種目がありますが、70歳以上といっても元気で競技を楽しんでいます。この年代の人たちこそ、移住地のために寄付を惜しまず、共同作業も厭わず、会のために尽くされた方々です。できればこの人たち、即ち自分の両親の気持ちを思いやり、日本人会の活性化のための『夢よもう一度』を息子さんたちの手によって再現し、最後の親孝行をして欲しいと思います。
 「先生、うちの孫を日本語学校へ入れるように、息子や嫁に話してください。お願いします。親の言うことなど聞いてくれません。本当にさびしいことです」と嘆くおじいさん、おばあさんが増えてきた昨今、どうか、年老いたご両親に長生きしてよかったという喜びと安心感を与えてあげてください。
 そして「今度、うちの孫が、ひ孫が日本語学校の学芸会で踊るんですよ。母の日に歌うんですよ」といって、その日を楽しみにしている年老いたご両親が増えていくことを願って止みません。
 高価なプレゼントよりも、きっと、心のこもったプレゼントになることでしょう。今年の「敬老の日」には、こんな素敵なプレゼントはいかがですか。ぜひ、試してみてください。そして、その輪を広めていきましょう。
 本校10周年を機に生徒が自主的に外に向かって行動を開始しました。本校の生徒が学んでいるブラジル小中学校や大学のいろいろなイベントに対して、日本文化資料の貸し出しや和太鼓の演奏、ヨサコイソーラン、折り紙教室、市立劇場で行われた大学生による演劇発表などで和太鼓との競演をするなど、日本文化普及に努めてきました。
 また、連合会傘下の日本人会の活性化のために和太鼓、ヨサコイソーランの演奏にでかけ応援をしてきました。
 現在はシニアボランティアが7つの、日本人会を回りヨサコイソーランを教える傍ら、日本語を教えるなど、日本人会会員の家族が会館に集まる機会を作っています。そして、今年の11月行われるドウラードス日本人会主催のジャパンフェスチバルには連合会傘下9支部の日本人会が参加しようと張り切って練習をしています。このうちの2支部の日本人会は本校生徒の活動に刺激され、日本人会を再開させ、次に日本語学校開校を目指して積極的に動いている日本人会です。
 そして、今年、再開した日本人会のリーダーは元本校の生徒であり、その夫人も本校の卒業生です。日本からの帰国者のみなさんも日本人会再開、日本語学校開校の原動力となって応援しているのです。
 このように、地味ではあっても日本語教育の種は絶えることなくどこかで蒔かれ、どこかで芽が出ています。日本語学校生徒こそ『野に咲くたんぽぽ』。目立たない小さなその種は風に乗って遠くへ飛んでいっても、降り立ったその地で芽を出し花を咲かせています。『踏まれても 咲くたんぽぽの 笑顔かな』です。
 最近、ジャパンフェチバルを賑わしているグループがあります。日本舞踊やよさこいソーランに参加している子どもたちの殆どが本校の生徒です。夜遅くまで日本舞踊の先生に教えていただいています。お陰で本校の学校行事の踊りも上級生が振付けて教えてくれますので、教師は大変助かっています。
 私は、常々、『お祭り好きな子どもをたくさん育てよう』と思っていました。教科書に向かうときの詰まらなさそうな生徒の顔、踊りや劇の練習になると急に生きいきとして張り切る生徒の顔、野球やソフトの練習時間が早く来ないかなと、時計ばかりみている生徒、日本語の勉強は嫌いでも、学校にいけば友達に会えるから、みんなと太鼓やよさこいソーランが踊れるから、ブラジル学校よりも楽しいという生徒。いろいろな人材がいてこそ日系社会を支えていく原動力になるのではないでしょうか。
 陰の力持ちこそ大切な宝物です。日系社会の表舞台で活躍する人材も必要ですが、それを支える人材が年々少なくなっているのではないでしょうか。いつの時代においても日本語学校は人を育てる場であり、勉強するだけではなくそれを学びに変える場でもあることを、教師も関係者も自覚し、悲観論よりも夢を追い続ける生き方を子どもたちに示すことが大切ではないでしょうか。
 踏まれても、踏まれても 明るく野に咲くたんぽぽのように。

写真=ドウラードス・モデル校の生徒たち