コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年7月8日付け

 「文明の生態史観序説」を上梓し文明論に大きな影響を与えた民俗学者の梅棹忠夫氏が死去した。国立民族博物館の設立に尽力して初代館長に就任、世界の国々の文化を紹介し学界を指導した功績などで文化勲章を受章しているが、ブラジルの日本移民にとっても忘れられない人である。もう30年も昔のことながら移民70周年を記念し、毎日新聞が主催のシンポジュウームに参加し、所謂―「サラダ文化論」を唱え、移民らを力づけたのも懐かしい▼学者としての歩みも,普通の人とは違い、故今西錦司京大教授を慕い学生時代に中国の大興安嶺探検に加わり、自然との接触に努めたりと、ちょっと異端な道を選んだし、「妻無用論」で多くの批判を受けたりもした。とにかくフィールドワークを好みアフガン、東アフリカ、東南アジアと世界を股にかけ飛び回り,新しい視点からの物の見方を発表し、話題を振り撒いている▼1986年には原因不明の病気で失明しているが、これもモンゴルを訪問したときに特殊な菌に侵されたの説もある。それでも、学問への熱情は衰えない。いや、ますます盛んになったと見る向きが多い。目が見えなくなった後にも、口述筆記で多くの著作を発表しているし、週に1回は民族博物館を訪れ若い館員らに本を読んでもらうのを楽しみにし、時には鋭い質問もしたそうだ▼梅棹忠夫館長は,学者としてもだが、民族博物館建設に至る政治力も超弩級であり、あの「移民史料館」を造るときにも助言があったと耳にしている。「サラダ文化論」もあるし、卒寿での旅立ちを今は静かに見送りたい。(遯)