日本語教師リレーエッセイ=第5回(上)=地域と家族が支える子弟教育=スザノ金剛寺学園=伊藤万理子

ニッケイ新聞 2010年7月17日付け

 日本からブラジルに移住して18年、月日のたつのは早いものです。また時代の移り変わりの激しいことにも驚かされます。私が住んでいるスザノの町も急激に様変わりしました。
 あのころ5、6棟しかなかったマンションの建物が今では至る所に立っています。学校についてもその通りです。私立、公立、幼稚園が続々と誕生し、日本語教育に関しても課外授業の中に取り入れているところや、英語塾、州立の高校の中にも日本語コースを入れているところもありました。日本語学習者の人口が徐々に増加していることは喜ばしいことですがその半面、今までの日本語学校のスタイルが変わりつつあることは確かです。
 私の勤めているスザノ金剛寺学園でも学習者の減少と形態が10年前とはだいぶ変わってきています。学習者は最高で200人、サンパウロ州の中の私塾としては最も多い生徒数だったそうですが、今では40~50人と減少しています(これはどの地域にでもいえる現象だとおもいますが)。形態としては日系人以外の学習者は3%ほどだったのが現在では45%と半数近くになっています。
 どうして日本語離れが生まれるのか? 今までは親が積極的に日本語学習を進めてきましたが、その傾向がうすれてきていることに危機感を覚えました。
 移民の歴史が重なっていくことによりブラジル社会との交わりが深くなり日本語の必要性が強く求められなくなった結果ではないでしょうか。いわゆる継承日本語教育から語学教育へと変わってきているのです。
 ここで、スザノ金剛寺学園の事をお話したいと思います。1972年開設、創立者は堀内昌子氏。日系人に対する日本語教育に熱い思いをかけられました。
 その当時は、お寺の一室を借りての日本語教育のスタートでした。時代の流れとともに日系人社会の若い世代の村から都市へ流出が目立ち、農村の機械化がなされ、兼業農家が増え、半農半商型への傾向が見られるようになりました。
 比較的スザノ市中心部にある当学園はどんどんと生徒数が増え、現在ある校舎2階建建設にまで至りました。私塾であるため日系社会の後押しがあったわけではありません。母子会運営という形で運営されています。その当時も母子会やスザノグァイオ親睦会が中心となり建設資金集めに力を注いでくださいました。
 現在では年に一度の「フェジョアーダ祭り」を行い、母子会を中心に生徒、先生、卒業生までが協力し合い、授業料だけでは賄えない学校維持費や合唱祭参加の経費にと利用させてもらっています。今年で21回目となり、生徒達の協力する姿と父兄さん方のいっしょうけんめいな姿には頭の下がる思いです。みんなの力が集まって成り立っている学校であるという時を実感できる日でもあります。
 生徒たちは全員「豆より」をします。小さい生徒も一生懸命です。13歳以上の生徒は前日、当日と父兄と一緒にお手伝いをします。教室では学べないことを生徒達はきっと感じ取ってくれていると確信しています。
 一昨年、あるお母さんが残した言葉があります。「私が元気な内はお手伝いさせてもらうよ」とても意味のある言葉だったと思います。子供さんはもう卒業されているにもかかわらず手伝いに来てくれていたお母さんでした。お金では買えないものが教育の中にはあるのだと思います。
 「協力」「働き」「喜び」はお金で買えますか? どのぐらいの値段が付けられるんですか? けして買えないものだと私は思っています。家族、親、仲間そしてそれらを支える地域、母子会があってこそ子供たちは育つのです。
 人を育てるということはみんなの協力のもとに成り立つものなのです。継承日本語教育は日系人が残してきた歩みをしっかりと受け継ぎ、次の世代の子供たちに伝えていくことなのではないでしょうか。 (つづく)

伊藤万理子(いとう・まりこ)

 山形県出身。1992年渡伯、98年からスザノ金剛寺学園勤務。4男2女の母。48歳