コチア青年55年・花嫁51年=55年目のコチア青年=パラナの仲間を訪ねて=《3・終》=初のポンタ・グロッサ訪問=コチアの遺産我らの手に

ニッケイ新聞 2010年7月21日付け

 一行はクリチーバから約140キロ離れた南パラナのポンタ・グロッサへ。親睦旅行で同地を訪れるのは初めてのことだ。
 休憩のためホテルへチェック・インすると、同地在住の青年、鶴田弘さん(75、一次四回、山梨)が迎えに来た。
 鶴田さんはコチア産組の南パラナ事業所副主任としてカストロに移転、産組解散後も農薬販売を手がけるなどしてきた。旅行世話人の坂東さんとは、共にコチアで机を並べた仲。数十年ぶりの再会を懐かしんでいた。
 一休みの後、一行はポンタ・グロッサ農業組合(Cooperponta)会館で行われる夕食交流会へ。地元の青年や関係者の夫人たちが料理をつくり、朝からシュラスコが準備された。同地の青年、組合員や夫人のほか、カストロからも香川公宏さん、小池清一郎さんらが駆けつけた。
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 カストロを中心にコチア組合員らの種芋栽培から始まり、国内有数のバタタ生産地として知られた南パラナ。人口約35万人のポンタ・グロッサは現在、同地域の穀物集積地として発展している。今では穀物生産が中心になっているが、パトロンとともに同地域に入った青年たちの内、現在も十人ほどが同地・近郊に暮らす。
 他の地域と同様、コチア産組の解散後、同地でもコチアの倉庫は清算人の管理下に置かれ、後身のポンタ・グロッサ農協が賃貸料を払って使ってきた。
 しかし昨年9月、同倉庫の敷地が競売にかかったのを機に、同組合が買い取り。15年ぶりにコチアの財産を自分たちの手に取り戻した。12月には、祝賀の忘年会を開いたという。
 同地の青年、藤松圧志さん(64、二次二十七回、大分)は、「この町にも日本人が住み、正直にやってきている。もう一度日本人の手に戻さないといけないと思い頑張ってきた。やっと元の所に戻った」と話す。約40人が加入する同組合では現在、12万俵のサイロを新たに建設している。
 交流会冒頭、同地青年の世話人である鶴田さんは一行を歓迎するとともに、「コチア青年の旅行を歓迎するのは初めてでびっくりしたが、皆さんの助けを借りて何とか接待できるようになった」と関係者に感謝した。
 参加者の紹介に続いて新留会長が「式典には奥さん同伴で大勢参加して盛り上げてほしい」と呼びかけ。同地の安田博行さん(72、一次十五回、岡山)が乾杯の音頭を取り、にぎやかに懇談した。
 この日の集いには、同地から南マット・グロッソでの農場経営を進め、2年前に交通事故で死去した辻光義さん(二次二回、福岡)の妻八千恵さんもわざわざ訪れた。アマゾナス州エフィジェニオ・デ・サーレスに入植、辻さんと結婚後30数年間ポンタ・グロッサに住んだ八千恵さんは、既に同地の農場は整理しているが、「友達もいますから」と同地への愛着を表す。
 イビウナからパトロンとカストロへ移り、ポンタ・グロッサへ来て35年という安田さんは、「(倉庫を買い戻し)これからは良くなる。集まるところができて嬉しい」と話す。サンパウロの青年らを迎え、「来てくれて懐かしい。皆年をとったけど、自分の年を忘れますよ」と温和な表情を浮かべる。
 3時間ほど続いた交流会の最後、藤松さんが再びマイクを持ち、出席者に語りかけた。「コチア青年がどこから来て何をしたかは多く語られているが、これからどこへ行くのかはまだ分からない。協議会に示してほしい」
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 翌朝、一行は前夜暗くて見ることのできなかった組合の建物を見学後、奇岩で有名なビラ・ベーリャ自然公園を散策し、午後サンパウロへの帰途についた。
 車中、これまで14回にわたって旅行の世話をしてきた坂東さんは、「今回が最後になると思います」と話し、感謝の言葉を述べた。参加者からは「これからも続けてほしい」という要望の声が上がっていた。
(おわり、松田正生記者)

写真=夕食会で乾杯の音頭をとる安田さんと同地の青年、鶴田さん、藤松さん/親睦旅行の一行。ビラ・ベーリャ自然公園で