コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年8月25日付け

 「二つの祖国」――よく使われる言葉だが、その意味の深みをじっくりと考えさせられた。先日のブラジル靖国英霊奉祭会の慰霊祭で、参列者は日本移民の先没者と祖国を護る戦いで散った日伯の兵士に対して平和の祈りを捧げた▼社には、当地で幼年期を過ごした後に帰国して神風特別攻撃隊として戦死した高須考四郎さんの遺言が置かれ、来賓には大戦時にブラジル遠征軍として欧州に出兵した二世兵士の唯一の生き残り、笠戸丸移民の子供である児玉ラウルさんがいた▼かたや枢軸国側、かたや連合国側。日系兵士は両側に立ち、それぞれの〃祖国〃のために戦った。伯陸軍予備役大佐の京野吉男さんいわく二世兵士は当時約50人おり、少なくとも1人が戦死した。一 方、高須さんのような子供移民や二世で日本軍として戦死した兵士の数は定かではないが、最低でも8人はいる。故内山勝男さんの著書によれば、有名な硫黄島守備隊に配属されて負傷した二世、沖縄戦で戦死した沖縄系二世もいた▼世界大戦の両側に親族や兄弟がおり、双方から平和を祈るという行為はまことに尊い。これこそが移民、日系人ならでは平和祈念のあり方だと心服した。慰霊祭の祭主を務めたベテランの上妻博彦さんが祝詞を奏上しながら、「南溟にさくら吹雪と散り征きし まなじりふかき学徒らのこゑ」のくだりで珍しく言葉に詰まった。後で聞くと「こちらから出陣した二世のことを思うと涙が溢れ、咳き上げてきて困った」と述懐した▼この句を聞き、特攻直前に高須さんが残した遺言の最後に「只今より桜の花の如く攻雲突進です。では皆さん上空よりさようなら」とあるのを思い出した。(深)