日本語教師リレーエッセイ=第11回=「何ができたのでしょう」=バストス=水馬京子

ニッケイ新聞 2010年9月4日付け

 先日、訪日した折、元JICAシニアボランテイアにお会いする機会がありました。
 「ブラジルから戻って、日本語の教室をしているのですが、この間、初めて1年間勉強を続けてくれた生徒に、頑張ったね、の意味で賞状をあげました」と、その方は言われました。私はその言葉を聞いて、ガツンと頭を殴られた気がしました。
 というのは、私は28年も日本語を教えていて、うちの学校には、10年以上日本語を学び続けている生徒たちがたくさんいるので、1年勉強を続けたからと、頑張ったねと賞状をあげるということは思いもつかなかったのです。そうです。1年間、大変な日本語を勉強してくれたのです。毎年、賞状をあげるべきだと私は思いました。
 そして、1年勉強した生徒は、1枚の賞状、2年勉強した生徒は2枚の賞状、3年勉強した生徒は3枚の賞状と貯まっていくのです。15年勉強した生徒は15枚の賞状です。今までは卒業する時に、12年間勉強しました。15年間勉強しました。と1枚の賞状をあげていたのです。今年からは、毎年賞状をあげることにします。
 このリレーエッセイに投稿するにあたり、私は一体何をしてきたのかと振り返るチャンスを与えられたと思います。ですから、良きにつけ、悪しきにつけ、ここに書き記したいと思います。
 まず始めに、私は日本語を楽しく学んでほしいと考えました。ですから、歌や遊戯を取り入れました。歌については、始めは昔の楽団で「汽車ぽっぽ」をうちの長男は歌ったことがあります。その頃は、私がピアノを教えていたので、楽団のオルガン奏者は私でした。
 それから、時代が過ぎ、今はカラオケになりました。幼稚園の生徒たちは全員、日本語学校の生徒はその半分がカラオケで歌っています。3歳の頃から、童謡を歌い始めたある生徒は、全伯カラオケコンクールで一等をとるまでに成長しました。(でも、それは稀なケースで、上手くならない生徒の方が多いです)
 そして、このカラオケの効果が汎パウリスタのお話大会にも、よい成績を残せる結果として表れていると思われます。まず、大きな声が出せます。また、日本語の発音もはっきりします。これは、カラオケとお話大会の相乗効果で、よい結果をもたらしていると考えられます。
 そして、この二つを指導者である私が好きだということが大切なポイントです。これがこの28年間も日本語学校を一人で続け、また童謡のカラオケの先生としても10年以上もある程度の生徒を確保しながら、続けてこられた理由だと思います。
 うちの日本語学校の生徒たちは、カラオケもお話大会も好きなんです。よく他の日本語学校の生徒がお話大会を嫌がるという話を聞きますが、その点について、うちの学校はなぜか今まではあまり問題がありませんでした。お話大会に出たいから、日本語学校を続けたいという15歳、日本語学習歴12年の男子生徒がいるくらいですから。
 しかし、これは、幼稚園から日本語を続けている生徒だからのようです。去年、12、13歳で日本語学校に入って来た兄弟は二人ともお話大会には参加しないと言っています。
 それから、日本語指導において、私のやり方は、自学自習です。先生が一人で、常に助手は二人以上はいましたが、あくまでも教師は私一人でしたので、やり方を工夫しなければなりませんでした。生徒に合った教材を与えて、自分で学習を進めるやり方にしました。
 もちろん、わからないところは、私や助手に聞きますが、生徒自らが文型の規則に気づいてほしい、漢字も覚えて、その楽しさをわかってほしいというものでしたので、無理もありました。というのは、この方法は、やる気のある学習者には有効ですが、遊びたがりの学習者には、何年たっても、能力試験の4級が受からないという悲しい結果を招いたのです。
 2年前からはその自学自習に加えて、単式授業としての会話の授業を取り入れました。3人から5人の一つのクラスが30分の短い授業ですが、これは発話に効果のあるものになりました。それにしても、日本語学校は楽しい。気の合う友だちもいるので、居心地がいいのでしょう。学習が進んでいる者もあまり進まない者も、毎日、通ってくれています。
 また、日本語の勉強に通じるものとして、ゲームも取り入れています。その日の課題が終わった生徒たちは、ウィイのゲームで遊ぶことができるのです。日本語のゲームですから、日本語を覚えながら楽しめるものです。他にも、みなさんの日本語学校でもしていらっしゃると思いますが、カルタとりやぼうずめくりもします。
 これは、すべて、教師は参加しません。生徒たちが自分たちだけでやっています。漢字カードや会話カード、反対言葉カード、お店屋さんカードなども生徒対生徒で、学ぶようにしています。これは、協働学習で、教師が教えるより、楽しく学べるものだと信じます。もちろん、教師は少し離れたところから、見守らなければなりませんが。
 それから、忘れてはならないことが、今年起こりました。念願のJICA学生研修の最終選考にバンビ日本語学校の生徒が合格したのです。日本語を13年も習い続けているので、是非日本に行ってもらいたいとの思いで、面接、作文の練習に取り組ませました。作文の練習は文協の先生にもお手伝いいただきました。その選考会には3回目の挑戦での快挙でした。合格を知らされた時、二人で泣きながら、抱き合って喜びました。
 以上、私の日本語学校で行ってきたことを、簡単にご紹介しました。いつも、試行錯誤しながらやって来たことで、なかなか満足できるものはありませんでした。しかし、いつもどうすればもっと楽しく、日本語を学習者の身に付けることができるだろうかと考えてきました。これからも、考え続けていきます。そして、いつかこの日本語が生徒一人一人の心の宝物になる日が来てほしい。そんな夢を抱いています。

水馬京子 みずま・きょうこ

 旧姓・相川。1953年名古屋生まれ。名古屋YMCA英語学校秘書実務科卒業、74年に米国コロラド州デンバーシテイーカレッジ大学入学、翌年中退。77年に渡伯。83年に日本語学校を始め、86年にバンビ幼稚園を増設。95年、公文式日本語学校に移行。

写真=バンビ日本語学校の生徒たち