コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年10月1日付け

 ブラジル民は思いのほか保守的かつ寛容で我慢強く、景気の良さを投票の最大の判断材料にする――と選挙の成り行きを見ていて痛感する。数々の醜聞が大統領選直前のジウマ候補を揺すっているのに、支持率がさほど下がらないのはなぜか▼国民が反応するタイプの醜聞と反応しないそれがある。前者は「賄賂の札束をパンツや靴下に突っ込む映像」がある場合などの分かりやすい時だ。今回は後者で「対抗候補の娘の個人情報の守秘義務が侵害された」とか「官房長官の息子が母親の権力を暗示して不当に利益をえた」などと説明したところで国民の大半にはピンと来ない▼つまり、メディアが「醜聞」だと騒ぎたてる倫理感と、国民のそれがかけ離れているから、いくらメディアが騒ぎ立てても支持票が動かない。ルーラ大統領を支持する北東伯住民は、もともと政治家の汚職には慣れすぎていて多少のことでは驚かない▼日本全国からロッキード事件で叩かれた田中角栄首相を、支持しつづけた東北住民に通じるものを感じる。大型インフラ整備計画PACは北東伯住民にとって「日本列島改造論」のような構想であり、地元に恩恵をもたらす現政権への評価は固い▼だからルーラはジウマを「PACの母」にした。マルタ上議候補は「女」で売り出しているが、ジウマは「母」だ。立候補以前のメガネでキャリアウーマンとの「怖い女」の格好を改め、コンタクトにして政見放送ではジャージのような野暮ったい服装すら見せる。父の分からない子が山ほどいる実質母系社会の当国で「母」という役割は琴線に訴える。しかも「土建の母」とは絶妙な命名か。(深)