ローランジャ佛心寺建立50周年=創立者・吉田氏偲び法要=日本から妻ふく子さんらも

ニッケイ新聞 2010年10月14日付け

 パラナ州ローランジャ市にある曹洞宗洞光山佛心寺(黒澤慈典住職)は建立50周年にあたる10日、改築・改装した同寺で開拓者供養と慶祝法要を行った。当日は同寺建立に尽力した吉田道彦氏(1930~1984、宮城県)の妻、ふく子さんをはじめ日本から12人の慶祝団、ブラジル宮城県人会から17人の訪問団、同市市長も訪れ、檀家と共に同氏の遺徳を偲び、半世紀の節目を祝った。前日の9日には同寺近くの公園で、市から寄贈された道彦さんを称える記念プレートの除幕式も行なわれた。

 「朗らかな人だった」と亡き吉田氏を知る人は口を揃えて同氏の人柄を語る。
 同船の隣のベッドで同氏と共にブラジルに渡った菅原要一さん(73、宮城県)は「仮装大会ではそれぞれの配役を決め、赤道祭ではコンビで芝居もした。芸差者でアイディアマン、面倒見が良く、船酔いがひどい人たちのために食事を各部屋までに運んだ。子どもたちを集め、遊び相手をして、子らも良くなついていた」と振り返る。
 曹洞宗の僧侶として渡伯した吉田氏は、サンパウロからローランジャへ。同寺10周年を終えて日本に帰国し、仙台の洞林寺の住職を務めたが59歳の若さで急死した。
 月の半分はパラナ州各地を飛び回るほか、同寺の本堂内で幼稚園や「日曜教室」を開き、ふく子さんと共に、折り紙、塗り絵、フォークダンスなどの指導をした。
 人望が厚く、本堂、庫裏(僧侶の住居)の建設には地域から多くの寄付が集まった。ふく子さんは「主人のいない間に2人の子を産みました。その時も地域の方にとてもお世話になった」と地域住民との関係の深さを語る。
 建立から50年前の年月が経つ今も地域住民からの思いは強く、22万レアル近くの寄付が集まり、今年、老朽化が進んだ庫裏を再建、新しく会館を併設し、本堂は内外壁を塗り替えた。
 9日の除幕式には同市副市長のサビネ・ジィゼレ氏も訪れ、ふく子さんと共に除幕を行なった。吉田氏が残した絵を元に作られたプレートには2体のこけしに「仲よく美しく」という文字が添えられている。ふく子さんはこの言葉を「道彦が一番伝えたかったこと」と話し、式では涙を見せた。
 10日には同寺の婦人会組織である観音講の詠讃歌が流れる中、黒澤住職が導師として、開拓者、壇信徒諸霊の法要を行い、慶祝法要は采川道昭総監が導師を務め、祈祷し般若心経を読み上げる中、参拝者全員が焼香した。
 2つの法要の間には、来伯中の田中清元特派布教師が法話を行い、仏、先祖を思う時間を少しでも作る事、日々の気づきを実践すること、この世は生かし生かされる世界であり、万物への感謝の心の必要性を説いた。軽快な口調で多くの笑いを誘っていた。
 記念撮影後には、埼玉親善大使の音楽家・吉武まつ子さんと、その子らが歌謡ショーを行い会場は大盛り上がりとなり、最後の童謡メドレーでは皆が手を繋ぎ、大合唱。その後、参列者が「頑張れー、頑張れー」と黒澤住職に熱いエールを贈ると、「気合入れて頑張ります!」と大きな声で答える場面もあり、笑顔と涙とが入り混じる場面となった。
 ローランジャ勇和太鼓の演奏中には同市市長のジョニー・レイマン氏も訪れた。
 その後は晩餐会となり、ケーキカット、ふく子さんから黒澤住職に50センチ大のこけしが贈られるなどして、終始賑わいを見せる記念式典となった。
 式典後、ふく子さんは「感謝感動。日曜学校に通っていた子たちが多く来てくれ『先生、先生』と呼んでくれた、道彦が生きていたらどんなに喜んだか」と話し、目を腫らした。
 式典準備、記念誌の作成と忙しい日々を送った黒澤住職は「多くの人に喜んでもらえてよかった。これからも地元の人、若い子たちにも気楽に訪れられるお寺にしていきたい」と意気込んだ。