コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年10月14日付け

 所要で訪れたグァタパラ移住地でちょうど敬老会が行われていたので会場を覗いた。壇上には「第44回」の横断幕がかかる。同移住地の初入植は1962年だから、第1回敬老会は入植4年目だったことになる。入植35周年で編まれた記念誌『翔洋』によれば、老人会の歴史もまさに44年▼コチア参組と開拓にあたった全拓連の理事だった近藤安雄氏が提唱し「明治会」(75年に長寿会と改称)が66年に発足。同年にはカトリック信徒会主催による初の敬老会が60歳以上の16人を招いて行われた。現在は70歳以上に引き上げられたが、今年の対象者は71人。歴史と共に当時の開拓者も齢を重ね、高齢化の波は押し寄せる▼とはいえ、敬老会は若々しく賑々しいものだった。トップバッターは主催団体である婦人会踊りグループ。約1カ月半練習したという「ブラジル音頭」で日伯の小旗を振った。続けて、日本語学校の子供たちの歌やたて笛に拍手が送られ、会場からはフラッシュも焚かれた。高木みよ子婦人会長によれば、以前はサンパウロから踊りの団体を招待して舞台を用意していたが、「うちの嫁や孫が出た」と喜ぶ参加者が多いことから内輪のみの会となったのだとか▼しっかりと日語学校の教育プログラムにも組まれているようで、生徒が日本語で書いた「いつもありがとう」のメッセージを手に、目を細める参加者の姿も。「以前より淋しくなった…」との声も聞かれたが、入植半世紀の節目は再来年。移住地を挙げて祝える土壌を感じた一日だった。(剛)