ローランジャ=移民史料館守って30年=今津さん「次世代のため続ける」=頭を悩ます後継者問題

ニッケイ新聞 2010年10月15日付け

 移民70周年記念祭と共に開館したパラナ州ローランジャ市の日本移民史料館。最初から一人管理人を務め、パラナ日伯文化連合会(リーガ・アリアンサ)の役員にも就き、それらの功績が認められて2009年秋に旭日双光章を受勲した今津貞利(さだとし)さん(78、福岡)。多いときには週に10回以上、自宅から1キロ半程離れた資料館に通い、資金調達のために本業の傍ら農作物を売り資金を稼いだ。そんな資金難、人手不足の中、30年間同館の経営を維持し続けた。だがそこには「眠れない夜も」あったという。

 ローランジャ市中心部から車で15分程、「ヨネゾウ・ウエノ通り」に面してパラナ州唯一の移民史料館があるパラナ移民センターが広がる。草の根支援金、ブラデスコ銀行、コロニアからの寄付で2001年に増改築された2階建ての館内には、開拓当時実際に使われた農具、生活用品が写真と共に展示され、順路と共に文化・スポーツ用品、祭具などが時系列で並べられている。大使、領事が着任すれば必ず訪れ、年1千人ほどの来場者がある。
 70年祭から10年ごとの記念式典はすべて移民センターで行われ、天皇皇后両陛下(当時、皇太子夫妻)や皇太子殿下、礼宮様(現秋篠宮殿下)など、皇室を4度迎えた。同センター内には、開拓慰霊碑、移民の像、記念塔、パラナ開拓神社等があり、それらの建設、管理、皇室のお迎え等に深く関わったのが今津さんだ。
 同市から土地の寄付を受け、史料館の開館と共に、パラナ州農務局とリーガ・アリアンサの共同で農業実習センターを併設し、全伯から研修生を受け入れいれた。今津さんは1歳半でサンパウロ州のジャボチカバル近くの直営地に移住、その後21歳までパラナ州ウライーで親の農業を手伝った。ローランジャ市で始めた現在の本業は電気機器の修理。54年間その道一筋だ。
 農業研修は10年で終了。農務局の支援も打ち切られ、そこからセンターの資金繰りのため、敷地内に大豆と小麦の栽培を始めた。作物の売り上げ、支援金の余り、植えたユーカリの木を売ったりして資金を補填した。「作物を作ってトントンになれば良い方。ここ20年で農業もずいぶん悪くなり、施設も老朽化した。協会(リガアリアンサ)には負担を掛けられないが、足りない資金調達に泣きついたこともあった。無茶なことをした」と苦笑いを浮かべる。その間も本業の仕事を休んだことは無かった。
 なぜそこまでして管理の仕事を続けるのか、という質問に対して、今津さんは「70周年式典の時には、仕事の傍らパラナ各地から大勢が集まって毎日毎日準備をした。その姿がまだ脳裏にある。ここは皆で作ったもの。無駄にしたらいかん」とその目には力がこもった。続けて、「先輩たちの理想や希望の足跡は残された大きな財産。大事にしないと。次の世代のため続けざるを得ない。そんな土地に愛着もある。植えた木も大きくなったものです」と強い責任感を滲ませる。
 同史料館の3代目の館長である五十嵐徳三さん(93、群馬)は今津さんについて「強い信念を持つ彼がいるから今の史料館がある。どんなに苦しくても守り抜いてきてくれた」と賞賛しながらも、「彼のようなことは僕にはできない。受け継ぐものがいない」と顔をしかめる。
 現在はパラナ日伯文化連合会が進める「夢」プロジェクトの実施のため作物作りをしていた土地は市に返却し、維持費は同協会が拠出している。「管理人の負担は大きく、それは身に染みている。維持費で精一杯の状態で人様に簡単にやってくれとは言えない。それは20年前から考えていることで眠れない夜もある。何とか現状を打開してから譲りたい」と今津さんは頭を抱える。