秋田県人会=粘りと団結で乗り越えた半世紀=創立50周年350人で祝う=佐竹知事、富樫議長ら迎え=「留学制度は心のかけはし」

ニッケイ新聞 2010年10月26日付け

 ブラジル秋田県人会(川合昭会長)は24日、同会創立50周年式典をサンパウロ市内の北海道協会で開催し、母県から佐竹敬久知事、富樫博之県議会議長ら26人の訪問団を迎え、約350人が参加した。各種表彰、感謝状贈呈などが行われ、祝賀会へと続き、節目の年を祝うと共に、母県との絆をさらに深めるものとなった。

 1960年、会員45人で発足した同県人会は、5年毎に記念式典を行い、30周年式典で新会館を落成、40周年の2000年には「南十字星とともに」と題した記念誌を発行した。現在は280人ほどの会員を抱える。
 式典では、母県から知事、議長の他、県議会議員、秋田市、由利本荘市、湯沢市からそれぞれ市長が、秋田魁新報社から小松嘉和記者らが出席し、大部一秋在聖総領事と栄子夫人、林まどか文協副会長、森口イナシオ援協会長、山田康夫県連副会長、羽藤ジョージサンパウロ市議、日系議員ら代理と共に登壇した。
 川合会長があいさつに立ち、来賓、会員らに感謝の思いを表し、「この半世紀、幾多の困難を秋田県人らしく、粘りと団結で乗り越えてきた。この日を向かえ、感激余りある思い」と述べた。
 母県の今日までの支援に対して、「ご恩は絶対忘れず、いつまでも後輩に伝えていかねばなりません」と力を込めた。
 佐竹知事は、時代の変容につれ、両国交流を取り巻く環境も変化していく中で、「先人の方々が築いてこられた絆を次世代につなげることは我々の責務」とし、相互を理解し、尊重し合うことを目的として、今後も交流事業を進める旨を述べた。
 知事表彰・特別功労賞ではブラジル初の日本人医師で、予防医学の権威、故・高岡専太郎氏やその孫にあたるマルセイロさん、元会長や川合会長ら9人を表彰。23人の功労者、高齢者(80歳以上)40人の表彰の後、県人会から訪問団員らに感謝状が贈呈され、サンパウロ市議会からも知事、議長、秋田魁新報社に感謝プレートが贈られた。
 87年から2年間、技術研修員として、秋田大学鉱山学部で修士課程を学んだ阿部カルロス同県人会第4副会長(三世)が、留学生を代表して謝辞を述べた。2007年同県で行われた国体に出席した時の事を述べ、「開会式で『君が代』を歌った時、涙がこぼれた。ブラジル人である私が、日本の国歌を歌ってなぜ感動するのだろうかと、不思議に思った」と話し、留学中に電話で初めて、祖母と日本語で会話ができ、感動した事などを述べ、「留学制度を続けることは大変と思いますが、どうか『心のかけはし』である留学事業を、どうか支え続けてください」と訴えた。
 あいさつを聞き、涙を流す来賓も見られ、訪問団員の北林康司議員は「研修員制度は県の最高の事業かもしれない」として、阿部副会長を称えた。
 兎澤繁友国際課主幹によれば、1970年から開始された海外技術研修員・県費留学生事業では、計76人を受け入れたが、県費留学は既に終了。技術研修は存続し、10年度からは政府の補助を受け、「南米架け橋事業」が開始された。現在同事業で子弟一人が、数ヶ月間、日本語習得を中心に留学している。
 祝賀会では、県民歌合唱に続き、最後に元応援団団員という富樫議長、北林議員が「フレー!フレー!秋田!フレー!フレー!県人会」と力強くエールを送り、響き渡る声と拍手で会場は包まれ、記念の式典は幕を閉じた。
 富樫議長は取材に対し、今後の県人会との関わりについて、「聞くと見るとは大違い。やはり現地に来ないと事情は分からない。交流事業の必要性、重要性に気づいた。以前と形は変わる可能性もあるが、予算を多くしてでも次の手を考えていく」と述べた。