大耳小耳

ニッケイ新聞 2010年12月3日付け

 酒井繁一さんは宮崎県に生まれ、早稲田大学文学部に進学したが、折からの昭和不況で家業が傾き休学。27年に山間部の諸塚村に代用教員として赴任した折り、村人から民謡「ひえつき節」の新しい歌詞をと頼まれた。作品を友人に託し、復学のため再び上京したが、実家が倒産してしまい、32年に一家をあげて渡伯した。戦後初めての正月、リベルダーデで自分が補作した「ひえつき節」が偶然、日系書店の店先から流れてくるのを聞き、滂沱の涙を流したという。曲は日本中で大ヒットしたが、かなりの額のはずの著作権料を申請することもなく、ひっそりと亡くなった。
     ◎
 吉原、アクリマソンの両ロータリークラブから「希望の家」への電動車イスの贈呈式は、不運にも停電に見舞われたため、ロウソク、ガスランプを照明にして行われた。薄闇の中、上村理事長が支援への感謝の気持ちを涙ながらに語っていたその時、思いが伝わったかのように、突然電気が届いた。会場からは歓声と拍手が起こり、重かった空気は一掃。記念撮影には晴れやかな関係者の笑顔が映し出された。