「移民文学の一つの到達点」=『うつろ舟』京都で出版=松井さん「驚いている」=日本の大学教授らが絶賛

ニッケイ新聞 2010年12月17日付け

 「移民文学の一つの到達点」――。コロニア作家の松井太郎さん(93、神戸市)の代表作『うつろ舟』など4編を収めた選集が8月、京都の出版社から刊行された。巻末には前出の言葉に加え「日本文学の臨界」「孤高の作家」などの言葉の並んだ、越境する文学を研究する西成彦・立命館大学教授、音楽・移民文化研究の細川周平・国際日本文化研究センター教授らの解説もつく。松井さん自身は、「コロニアで読んでもらおうとおもって書いてきた。突然日本で評価されて驚いている」と不思議そうな表情を浮かべる。90歳を超えてなお、小説を書きつづける熱い思いをサンパウロ市東南部の自宅に訪ねてきいてみた。

 昭和恐慌で失業した父・貞蔵さんは36年、家族を連れて神戸港を出発した。松井さんは19歳だった。サンパウロ州奥地のコーヒー耕地で一年の農業労働の後、マリリア市郊外で棉作りの歩合作に。戦後は妻子を連れてスザノで野菜作りをする。その間の実体験が小説に反映されている。
 還暦の頃、息子がスーパー経営を継いだのを機に隠居生活に入った。学歴は尋常高等小学校をでたきりだが、読書好きが高じて小説を書き始めた。書斎には日本語の純文学や哲学書などの高尚な本が約1千冊も並ぶ。
 年に一作以下の寡作だがパウリスタ文学賞(「うらみ鳥」1980年)、のうそん小説賞(「アガペイの牧夫」1982年)、コロニア文芸賞(「うつろ舟」1990年)など主だったコロニアの文芸賞は執筆生活に入った80年代に総なめにした。
 代表作「うつろ舟」は最初『コロニア詩文学』の27号から47号に分割して発表された。その当時に編集を担当した伊那宏さんは「移民文学ともいえない、今までにないタイプのコロニア文学だったので、あの当時、コロニアの人からあまり高い評価が得られなかった」と振り返る。「日本語で書かれた南米文学というんでしょうか」。
 04年に本紙の連載小説として紹介され、08年には日本の文学誌『すばる』(集英社)が移民百年を記念して日系文学の特集を2度も組むなど注目を浴び、その中でも松井作品が紹介された。
 京都新聞10月21日付けの中で、文芸評論家の川村湊・法政大教授は「バルガス・リョサ『緑の家』などに連なる、ラテンアメリカの森や自然を舞台にしたピカレスク(悪漢小説)的な要素を感じる。南米の日系人文学はこれまで知られていなかっただけに、刊行は日本文学史にとって画期的だ」と〃南米文学〃としての評価を述べている。
 また西教授の「移民による日本語文学が、ついに日本という国を度外視するところまできたひとつの到達点」という言葉もそれを裏付ける。
 松井さんに選集が刊行された感想を尋ねると、「この歳になって急に大学教授から『日本人離れしている』とか『尊敬する作家』などと言われても・・・」と照れくさそうな笑顔を浮かべた。