■樹海拡大版■150年祭への切り札=日語学校は「青い鳥」


特集 2010年新年号

ニッケイ新聞 2011年1月1日付け

 「チルチルミチルの青い鳥」の話を挙げるまでもなく、本当に必要なものはすでに手元にあるのかもしれない。
 多くの日本人会や文協では、手間やお金のかかる日本語学校運営に音を上げて閉鎖している。確かに学校の維持には手間がかかる、先生の給料を確保するだけで大変だ。
 でも移民百周年を3年前に終え、次の110周年、いや150周年を考えたとき、日本語学校の存在は考え直すに値するものだと判ってきた。
 このシンポジウムで何人もの識者が指摘している通り、日本語教育は日系社会の後継者育成のためだけの存在ではなくなっている。昔のような「日本人を作るための教育」ではもちろんない。
 文協や地域日系団体の将来の後継者を作ることはもちろんだが、日系人としての特性を持って一般社会に貢献できる能力を身につける場、多文化受容を幼いころから脳に刻むための場としても注目されてきている。
 日本語はすでに日系人だけのものではない。一般ブラジル子弟や一般教育者からも高く評価される存在になってきている。日系人にとって日本語や日本文化が一般社会で活躍するための武器になるのなら、それは非日系人にとっても同様だ。
 もちろん生徒の中心が日系であることは、学校運営をする日系父兄にとって大きな動機となる。でも現実には非日系がどんどん入ってきている。なぜなら教育体制が脆弱な地方都市において、和太鼓、演劇、スポーツ、折り紙などの情操教育は公教育では与えられないからだ。
 地方の小都市の市公式行事を取材すると、式典で演奏する大人のバンドよりも、日本語学校の生徒がアトラクションで演奏する和太鼓の方が音楽としてのレベルが高いと感じることがままある。
 サンパウロ州や北パラナの多くの地方都市、たとえばレジストロ、ピエダーデ、アチバイア、モジ、アルジャー、バストス、ロンドリーナ、マリンガなどでは、日系団体が催す行事がその地方最大のイベントと定着してしている。日系団体の存在は地方都市を支えており、今や伝統の一部を形成していることは間違いない。そのような町において、日系団体と日本語学校には非日系からも自然と注目が集まる。

黄禍論繰りさないために

 全伯的に考えたとき、日本語学校は日系子弟向けの日本文化継承の最後の砦であると同時に、日本文化に親しみを感じる非日系人を増やすという最強の武器であることがだんだん判って来た。
 かつて戦前には「日本移民は硫黄のように溶けない」と黄禍論がもっともらしく唱えられ、戦中には日本人であるだけで差別迫害され、日本語をしゃべるだけで留置場に叩き込まれた。そのような悲劇を二度と起こさないために、日本文化に愛着をもつ非日系人を増やすことは、ぜひとも続けなければならない。
 バストスのように卵という資産を最大限に活用して学校を支え、さらに姉妹都市提携する日本の町に生徒を派遣する独特の取り組みをするところもある。
 多くの地方文協が地域で一番のスポーツ施設を持っている現状からすれば、スザノのようにコレジオ化することで、施設を有効活用しつつ、日系会員を増やしていくことも一つの有力な選択肢だ。
 川村真倫子さんが訴えるように、一日本語教師が立派なコレジオを作ることができたのだから、各地方の文協に集まる役員の力を合わせれば、今からでもその地域有数のコレジオを建設することは可能だろうし、これからはそのようなうねりが必要なのだろう。
 欧州移民や中東からのアラブ系移民やユダヤ系は「宗教」を、コムニダーデ維持の中核に据えた。南伯の小都市にいけば教会が中心になって移住地開拓を行なった歴史を持つ町がたくさんある。たとえ人種差別は起きても、信仰の自由が保障される限り、宗教団体は迫害されないことを、欧州移民は旧大陸の歴史から知っているからだ。
 しかるに日系は仏教移住地を作れなかったし、神道もしかりだ。
 移民百年が過ぎて、次の節目を俯瞰したとき、どんな仕組みがあれば日本文化、日系文化が継承されるかを真剣に考える必要がある。日系社会の現有能力・資産を見回したとき、日本語学校は「青い鳥」どころか「不死鳥」になる可能性を秘めている。

いま教室で学ぶ子が大事

 多くの地方文協、日本人会にはすでに日本語学校がある。もしくは、あった。ところが文協や県人会などの日系団体の多くが、一世や高齢二世世代の親睦団体としてしか機能しなくなっている。高齢者しか集まらないのでは、次の世代のことは語れない。
 次の世代を文協に呼び込むための仕組みが必要であり、それがこれからの日本語学校の役割だ。
 日語学校を後継者育成、日本文化普及の核として地方団体の将来に位置づけなおし、コツコツと地道に支援を続けることで、立派な移民150年祭を開催する〃保険〃になるのではないか。
 なぜなら今教室で学ぶ10歳前後の世代が60歳近くになった時、移民150周年が祝われる。この世代をいま大事に育てることで、少なくとも150周年までは見通すことができる。150年祭時の日語学校の父兄会が情熱を維持していれば、200周年にも手が届く。その繰り返しが、世代を超えた文化伝承の仕組みになる。
 すでに平均年齢が70歳代半ばといわれる一世世代の大半は、あと10〜20年したら多くが鬼籍に入る。その後に行なわれる150周年に対して今できることは、将来のコロニアを支える子供に投資することだろう。
 ピラール・ド・スルがある聖南西地区のように、親が二世になって家庭内で日本語を使わなくなっても、地域や文協がかつての家庭がわりに日本語環境を提供することで、日本語を使う場を生むという取り組みも行なわれている。戦後移民が健在な今ならそれができる。生の日本語環境は生きた文化を学習する文化教育の場だ。
 日系人が中心となった日本語学校で林間教室やキャンプ、運動会などを幼少時から体験することで、日系人同志の親密感が自然に醸成される。
 またコロニアの日本語に加え、NHKの番組などを上手に授業に取り込んで、今の日本の日本語も習うことができる。そうなれば、家庭内で日本語を使われないになっても日本文化は継承されていく。
 日本語学校を盛り上げることは、単に日本語を日系子孫に習わすだけではない。勤勉さ、真面目さなどの特質を日系・非日系わけへだてなく教えることを通して、ブラジル社会に貢献し、日本人や日系人に友好的な一般社会を醸成することでもある。

みなで一斉に盛り上げる

 松原礼子USP教授は総評の中で、「こういう日本語学校の生徒がいないと、USPの日本語学科の生徒が減る。減ると日本語学科が無くなる。日本語教育はいろいろなレベルで連鎖していることがよくわかった。それぞれが自分の立場で盛り上げていくことが大事ではないか」と分析した。
 一般家庭、文協、県人会、カラオケ愛好会など各種日系団体、日系宗教、日系コレジオ、邦字新聞社、日本語学科のある大学、日系企業、日系進出企業、在外公館とその外郭団体などは、すべて連鎖の中にある。
 どこか一部だけで力を入れても空回りしてしまう。みなが意識を強めて一斉に少しずつ回転を早めていけば、いずれは大きなうねりが生まれる。
 ブラジル社会・経済の発展には、優秀な人材が多々必要であることは間違いない。我々はすでに、14年のサッカーW杯、16年のリオ五輪の後のことを考えなくてはいけない。
 ふり返って足元を見れば、全伯には350校とも言われる日本語学校がある。これを支援することで足元を固めることが、将来の日本文化継承に向けて今できる日々の努力であることが、シンポの端々からうかがえた。(深)