リオ被災地緊急ルポ=SOS届け!支援の手=《4・終》=困難な会館の復旧作業=共助精神で地域に一体感

ニッケイ新聞 2011年2月1日付け

 日系クラブの会館が川の中に—?! 1月23日に無事に支援物資を届け終えた援協役員らがノヴァ・フリブルゴを出発した後、記者だけ単独で一日現地に残った。
 被害が大きいテレゾポリス日系クラブ(TNC)会館の様子を確かめようと隣町へ向かったからだ。フリブルゴからテレゾポリスへの道は土砂崩れの影響で途中通れるのか懸念されていたが、幸い復旧工事が進んでいたその日、車で2時間、何とか辿り着いた。
 現地では同日系クラブの森山光昭会長(68、鹿児島)が待っていてくれた。森山会長の車に乗り込み、街の様子を見て回る。真っ先に被害が分かったのが徳田ミチコさん(69、二世)夫婦と一緒に暮らす息子のアンドレさん(47)家族だった。川沿いの家は2階部分まで浸水、襲いかかる濁流から命からがら隣家まで逃げた。
 被災後すぐ、報告を聞き心配した木村元(はじめ)リオ総領事館首席領事と鹿田明義連盟理事長が水やカップラーメンを運び一家を見舞ったそうだ。家の掃除に戻ったミチコさんは、「駄目になった家具をごみに出してもごみ収集車が取りにきてくれない」とため息、「きれいにするには時間がかかりそう」と話していた。
 10日経ってようやく大きな被害が分かったのはサンタリカ区の中川さん家族。中川ラウロさん(70、二世)と甥のケイイチさん(43)家族、ロドリゴさん(28)家族が別々の場所で被害に見舞われた。
 家長のケイイチさんがデカセギ中の出来事で、浸水した家から逃げる際にケガをした妻と娘達が病院で治療を受けた。ロドリゴさんの家は濁流に飲み込まれて全壊、妻と5歳の息子を守り泳いで逃げていたという。
 川岸沿いに民家の多いテレゾポリスの街では、山崩れよりも洪水が大きな被害を招いた。川沿いを埋立て建設された日系クラブ会館敷地も、幅3メートル分の土地が濁流に削り取られ、大きく育っていた桜の木が無残にも根元から引っくり返っていた。崩れ去った地面からは、無残にも会館外壁の基礎部分が大きく露出していた。
 修復作業用に新たな土が運び込まれていたが「完全に直すには相当の費用がかかる」と森山会長はがっくりと肩を落とす。00年に新設されたばかりの会館で、桜の木はその落成式で領事が植えたものだった。
 一昨年に糖尿病で亡くなった蔀雅喜さん(享年63、二世)が落成時に会長を務めていたと語る妻のイオランダさん(63、二世)は、桜の木が心配で災害直後に会館へ駆けつけ、その様子に顔を覆った。「思い出の桜の木を失いたくない。枯れた部分を切り取って、根っこを引っ張り起こせば元に戻せるかも」—。テレゾポリスの街から見える天に伸びたデド・ジ・デウス(神の指)山の景色を前に、イオランダさんと会館の復旧を願った。
 日系人人口が0・1%と少ないペトロポリスでは、大きな被害は早々に報告された勝本アウグストさん(二世)の育苗工場の一軒のみ。ペトロポリス日系協会の安見清会長は「ここの日系家族に被害はほとんどなかった。人的被害はゼロ」と、同地日系家族の安全を保証していた。
 実際に訪れたブラジル史上最大の水害被災地では、日系社会が団結して迅速に助け合っている場面を目の当たりにした。たとえ普段は日系社会内の付き合いが強くても、緊急時には一般社会と一致協力して対応していくことで、地域の一体感が深まることを実感した現場でもあった。(終わり、長村裕佳子記者)

写真=根こそぎ崩れ落ちた桜の木