イビウナ庵便り=中村勉の時事随筆=年3月28日=不透明な表現

ニッケイ新聞 2011年4月1日付け

 友人のメールに「東電の技術者が『東電には何も技術はありません。発電機はGE・東芝、送電線は電工各社、碍子は日本ガイシに任せており東電自体は何も出来ません』と言った20年前の話を思い出しました」とあった。そうだとすると、事故対策も、(問題の所在、可能な対処法、作業時に起こりうる危険の種類と度合、周辺に与える被害範囲と危険度、等々を含めて)、外部に委託せざるを得ない。詰まり、東電は責任者を認めたものゝ、当事者能力はないことになる。政府と東電が一体となった統合対策本部も、当事者能力は不変だから、そこから出てくる情報は、遅く(速度)、不十分で(量)、難解(質)となる。政府も東電も説明責任を感じるが、一刻も早く事態収拾を図りたく、現場を邪魔したくない思いでいっぱいだろう。被害地域の住民はもとより、国民にも「冷静に」ということ以外にメッセージはない。レトリックを駆使して、国民の冷静を保つために「直ちには危険ではない」と連発するので、却って国民の不信感は否が応でも募っていった。
 会社人間だった頃、部下の説明が解り難い時は要注意だった。悪い癖だが、何か悪いことが出てこなければよいが、と思ってしまう。東京都の金町浄水場で水道の放射性物質が基準値を上回ったことが分かった。その日の広報には難渋した。因みに、22/03/2011のUSA Todayは、“Tokyo Tap Water unsafe for infant: Level of radioactive iodine was found to be twice the recommended level.”と明快だった。当事国の報道と非当事国の違いだと片付けてしまってよいのだろうか、疑問が残った。
 米国絡みの狂牛病騒ぎの時、米国がいくら安全だと言っても、日本は頑として、米国産牛肉の輸入を拒否し続けた。あの時、食する日本人が「食べない」ことには詮ないことだ、と分かった。そんなに遠い昔の話ではない。今回も、菅首相が東京都の水道水を飲んで見せ、福島産のホウレンソウを食べて見せても、国民の多くは、手を出さないだろう。
 別のメールはこう言う「1960年代に子供だった私は、空からは放射性降下物を浴び、地からは環境公害の全盛期で有害な重金属を体内にため込み、食品は発癌性があるさまざまな人工添加物(チクロとか)を食べ飲みまくってきた世代だ。『この子たち(昭和30年代、1955〜1964生まれ)は、到底、健康で長生きは望めない、そのうち、癌でバタバタと倒れて行くだろう』と言われた。実際、1990年には、西丸震哉『41歳寿命説—死神が快楽社会を抱きしめ出した』(情報センター出版局 1990年)という本がけっこう売れた。私もパートナーも幸い41歳では死なず、50歳代まで生き延びている」と。
 今現在も、懸命な支援活動にも拘わらず、必要物資が必要量だけ被災者に届いていない。市場機能の見事さを今更ながらに懐かしく思う。3.11損失の内で最大の痛手の一つだ。