ブラジル日系文学=広島ペンクラブと文芸交流=原稿の相互掲載を開始=宮尾氏「民間レベルで初」

ニッケイ新聞 2011年4月16日付け

 文芸誌『ブラジル日系文学』を発行するブラジル日系文学(武本憲二会長、会員250)と、広島ペンクラブ(務中昌己会長、会員105)が会誌の交換や、原稿の相互掲載を中心とした交流をこのほど始めた。サンパウロ人文科学研究所の宮尾進顧問(80)は、「両国の民間レベルでの文芸交流は初。移民県広島と、世界最大の日系社会のこうした動きは非常に意義がある」と話し、移民を文学のテーマにした作家・梶山李之(故人)が発足に携わった同クラブとの〃縁〃に関心を示している。

 広島ペンクラブは、原爆からの復興を目指した「広島平和記念都市建設法」が公布・施行された1949年、地元出身の作家、井伏鱒二や梶山李之参加のもと発足した中国地方最大規模の文芸サークル。
 翌年、当時の日本ペンクラブ会長・川端康成らを広島に迎え『世界平和文化大講演会』を開催、以来、広島の文学・文化を深め、発信することを目的に年2回の会誌『ペン』発行や講演会などを実施している。
 66年に創刊された総合文芸雑誌「ブラジル日系文学」(創刊当時はコロニア文学)の会員、谷口範之さん(86、広島)が、弟で広島ペンクラブの専務理事を務める吉村淳さん(72)に「文学を楽しむ同士、何か交流ができないか」と電話で話したことがきっかけ。
 それぞれの役員会で話し合い、昨年から会誌の交換を始めた。3月末、日系文学の編集長を務める中田みちよさん(70、青森)が『ペン』に原稿を送った。
 宮城県石巻市の震災被害を書き出しに、仙台藩の漂流船若宮丸の乗組員で運命に翻弄されながら、17世紀はじめにブラジルの地を踏んだ初の日本人の秘話を紹介した。7月に発行予定の『ペン』に掲載される。
 「あまり知られていないブラジルと日本の繋がりを知って欲しかった」と話す中田さんは、「日本語で文章を書く人にとって、日本の人に読まれることは何よりの励み」と喜び、「カナダや米国の愛好家ともやり取りできれば」とより広い交流活動に意欲を見せる。
 78年に日本政府が派遣した「日系人健康調査隊」の一員としてブラジルを訪れた経験のある務中会長(82)は、「ブラジルは広島県人にとって特別親しい国。縁あって文芸を通じ交流できることを心から喜びたい」と話している。
 日系文学の7月号に、務中会長の執筆による原稿が掲載される。