がんばろう!ニッポン〜日系社会は応援する=サンパウロ市 平間 浩二

ニッケイ新聞 2011年4月20日付け

 日本に原爆が投下されて以来、65年経った今、再び放射能の恐怖にさらされている。日本の原発の安全性は、世界的に評価されていた。その信頼は失墜し、世界は日本の事故対策状況を注視している。
 それはさておき、大津波で家を流され、避難生活を余儀なくされ、未だに救援物資が十分に届いていない。一日に2食にも満たない乏しい食事を強いられている。その上、厳しい寒さに震えている被災者の避難生活をテレビで見ていた、まだ7歳の少女が、NHKのアドレスメールに投稿した文章がテレビの字幕に掲載されていた。
 「私は今まで何不自由なく過ごしてきた。自分の事しか考えて来なかったが、これからは困っている人達の気持ちになって物を大切にしていきたい」と、また14歳の少年は「親から毎日貰っているお小遣いを被災地の困っている人達に少しでも役に立ちたい、と募金しました」と話していた。私はこの少女の数秒間の字幕と、少年の真剣なまなざしに涙が止まらなかった。
 私は一昨年4度目の訪日をした。夫婦で訪日旅行をしたのは初めてであった。今までになかったほど楽しい感動的な訪日旅行であった。しかし、その反面、気にかかる事があった。日本の社会では、大分前から指摘されている事であったが、電車に老人が乗って来ても、席を譲ろうとしない若者が多くなったという事である。
 私は脳梗塞を患い、左足の脚力が弱い上での訪日旅行だった。毎日のように電車に乗った。そして現実に何度も「その場面に」遭遇したのである。健常な身体であれば、それほど身に感じなかったのであるが、これ程、痛感した事はなかった。ブラジルの大方の若者は、年寄りを大切にして席を譲ってくれる。
 その他、会社に勤務している若者が、海外勤務の辞令が出されたら会社を辞めると言うのである。何が、誰がこのようなひ弱な若者にしたのだろうか。
 もっと深刻な問題は、年間3万人以上の自殺者がいる。自ら命を絶つことほど痛ましい事はない。自殺する人には、それなりの事情があり、切羽詰まった挙句に選んだ道であろう。
 が、このような時勢に、国難とも言える大震災が起こった。そのニュースの映像は、瞬時に世界中に飛んだ。時を置かずして、米国始め多くの国からの救援隊が駆けつけて来た。
 国内では若き無名の青年たちがボランティア活動をやろうと、率先して地域の自治体に続々と集結した。自治体の方は未だ受け入れ態勢が整っていない為、受け入れに戸惑った程であった。またスポーツ界では、特に野球のセ・パ両リーグ及びJリーグの選手達が積極的に義捐募金活動を行っている。そして被災者に勇気と希望のメッセージを送っている。
 その外、ニュース報道の中で、自分の家が被害に遭いながらも、ボランティア活動を行っている中学生がいた。それは一人だけではなかった。自分の事よりも他人の事を思う心が言動に滲み出ていた。また前述した7歳の少女のメール、14歳の少年の言動等。その他にも感動的だったのは、北茨城の19歳の消防団員が自分の足元まで津波が迫っていながら、自らの危険を顧みず、2時間半に亘って、避難命令を叫び続けたことだ。その結果、地域住民全員の命を救ったのである。
 未曾有の国難と言うべき大震災に遭い、被災者並びに日本国民の心が一つになろうとしている。壊滅状態の被災地・被災者の悲しみ・苦しみを心から同苦する若者達が今、目覚めようとしている。若者達一人一人が、人の為、社会の為に立ち上がろうとしている。日本は必ずこの危機を克服し、力強く復興すると私は確信している。毎日のテレビの報道を見て、日本人が元来持っている辛抱強さ、勤勉さ、逞しい力を感じるのは、私だけであろうか。
 犠牲者の冥福と祖国の1日も早い復興をお祈りします。

  新涼や祖国の復興祈る日々