〜OBからの一筆啓上〜婿さん募集広告=水野昌之(元パウリスタ、日伯毎日新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年4月20日付け

 60余年ほど前、邦字新聞が復刊して間もないころの話。新聞の広告欄に見落としてしまいそうな小さな広告が載っていた。
 「求む、婿、委細は本紙営業部、有馬まで」と書かれていた。当時私は、ある邦字紙の社会部記者をしていた。恰好なネタであると、早速、広告の有馬氏を訪ねた。彼は、幸いにも私が他社の記者であると気づかなかった。
 「あなたがご本人ですか」最初の質問である。そうです、と答えると紙片を取り出して、「まずこれを読んでから応募して下さい」といった。相手の母親の書いたものであった。
 「25歳までの体格の頑強な方。職業に満足している方。貧乏でない方。読書の好きな方。死にたいと思ったことのない方。借金のない方。お酒は飲まない方。普通なお顔で歯並びのきれいな方。これらの条件を満たす方に娘を差し上げたい」
 ハテ、これはなんだ。好奇心が戸惑う。歯並びは気になるほどではない。貧乏であるが借金はない。近頃はタメイキをつくことが多いし、死にたいと思うこともある。邦字新聞の記者に将来があると思えない。
 他の条件もピッタリ合うわけではないが、まったく外れているわけでもない。
 しかし、まてよ、これは母親自身の性格や好みを並べただけではないか。おそらく娘の本心を代弁したものではない。
 このような条件を提示するには、それなりに親娘の過ごした歳月に込み入った事情があるに違いない、と興味をそそった。
 「あなたなら及第だと思いますよ。母親に会ってみますか」と有馬氏は言った。第一印象がよかったんだろう。それだけで及第である。なんとも無責任なものいいである。
 無責任といえば偽って取材している私の方がよっぽどいい加減で詐欺まがいだと心が痛んだ。
 有馬氏が電話で連絡すると、間もなく母親という女性が現れた。開口一番「あなたは勝ち組ですか。負け組ですか」であった。瞬間、狐につままれた気分になったが、世情が混とんとしていた時代であり、無理もないと思った。
 「わたくし、サンタカタリーナ州に住んでいますの、あちらの日系コロニアも勝ち負けでうるさく、誰ともお付き合いできませんの。亡夫の遺言でもあり娘は日系人と結婚させたい、ということで婿探しといいますか、こちらに来ています」
 そして「娘は人並ですよ。22歳。国立大学の法科を出ています。あの子が14のとき父親、つまり主人が自殺しました。それより性格が暗くなり、引き込み思案で、恋愛をしようとしません。わたしが婿を探してやらねば、独身で一生を過ごすことになると思いましてね」
 見ると彼女は涙ぐんでいる。正体を告げずに取材しては罰が当たるような気がした。すべてをぶちまけて平謝りしよう、と思った。
 しかし、翌日、わが社の新聞の社会面トップに、「婿欲しや、母のこころ、才媛に悲しい歳月」という大見出しの活字が躍った。記事の内容は、母親が話してくれたことに尾ひれをつけて脚色したものであり、人権を侵すものではなかった。
 結果的には世間の注目を集めて大きな話題となった。あるいはこれを機会に「よき婿殿」が見つかるかもしれない。そうなれば功罪相半ばだ、と自分に言い聞かせたりした。
 母親から話を引き出すとき「わたしは第二回移民船旅順丸でこの国へ渡ってからずっと働いてねえ。日本人はみんな貧乏だったから、まじめに一生懸命に働きましたよ。他人様を騙したことなど一度もありません。信用だけがブラジルで生き延びる道だったのです。それがどうでしょう、勝ち負け騒動で人を平気で欺く、こんなの人間の屑ですね」と言った。
 確かに人間の屑だ、と思った。私も早晩、足を洗って他の職業に転じようと決意した。
     ◎
 本紙の前身であるパウリスタ、日伯毎日両新聞で健筆を揮った元記者らによるニッケイ新聞OB会(田村吾郎会長)が今年2月に結成されたことは本紙でも紹介した。
 活動内容を練るなかで—やはり昔取った杵柄—リレーエッセイ『OBからの一筆啓上』がスタートする運びとなった。
 広辞苑によれば、一筆啓上とは「筆を執って書いて申し上げる」の意。 読者、編集部、日本、もしくは廃刊後の本紙をめくる将来の読者—誰に物申すのかは各々にお任せするとして、長年コロニアを見つめてきた歴戦のブン屋たちが、何を題材にどう切り取るかを読者とともに楽しみたい。
 鳴き声が「イッピツケイジョウツカマツリソウロウ」と聞こえることから、一筆啓上は「ホオジロ」を指すことも。
 様々な音色のさえずりを期待するとともに、髪の白くなった先輩方の心意気に感謝の意を表したい。
 隔週水曜日に掲載します。(編集部)